また夢ンなるといけねえ

成績不振の大学生が書く、日記とかメディアの話とか。幾度となく開設しては閉鎖してを続けてきた我がブログ遍歴。今度は末永く続くように。

久しぶりに高校に行った

 4年前に卒業した高校で、大学での学びとは何かという題で現大学生の卒業生が講演する催しが先日あり、僕も登壇者の一人として母校を訪ねた。

 留年予定者の僕が招かれて大学の学び云々とは、あまりに趣味が悪いんじゃないかとも思ったのだが、担当教員は僕の身の上を知った上で依頼してきたので断る理由もなかった。

 会の目的は、生徒に対して▽大学を多様な視点を獲得する場として認識してもらうこと▽学生生活の締めくくりに入った登壇者の声を通してリアルな大学像を描いてもらうこと――といった具合。僕は会の冒頭15分ほどで、学生新聞の記者として出会った人について話すことになり、それならお安い御用と題にふさわしい取材経験を二つ開陳した。

 問題はリアルな学生としての僕自身の体験が、あまりにものぐさなものでどうしようもないので、話せることがないということ。仕方ないから会に先立ってサークルの同期に連絡をとって、彼らの体験を聞きネタを仕込んでおいた。

 いざ会に入ると、他の登壇者もユニークな人ばかりで、実体験の部分は僕は話すまでもなく進んだので胸をなで下ろした。終わってみれば先生方からも、好評を頂いたのでまずまずの出来だったのだと思う。

 

 登壇者は僕と(高校の)同期が1人、2期下が4人。文系向けの会だったので登壇者もみな文系である。

 同期と僕は互いに、顔には覚えがあるし話したこともあるけれど、名前まで記憶していなかったタチだった。でも名前を聞けば互いに(良い意味で)現役当時は校内の有名人だったのですぐいろいろ思い出して、楽しかった。

 一方2期下の後輩ら男女4人は、まったく僕とは毛色が違う感じの人らで、みな好青年だけどいかにもクラスのメインストリームという感じでなじめなかった。

 会終了後(つまり放課後)に登壇者は残って、生徒が直接話を聞きに来る場で対応したのだが、後輩らは聞かれてもいないのに受験対策やら進路決定の体験談やらをマシンガントーク。正直僕はついていけなかったし、卒業生が思い出を語って自己満足しているように見えて苦々しく思えた。こういうやつっているよなあと思いながら、聞き役に徹したと思う。

 僕も名実ともに老害である自覚はあるので、なんだかなあと思っていたのだが、その「残業」も終わって帰り支度をしているとさっき話を聞きに来ていた生徒のグループの話し声が聞こえてきて、曰く「頑張ろうと思った」「モチベーション上がった」と。

 ああそうか、こういう場に来てわざわざ卒業生の話なんか聞こうとするやつは、そういうマインドか。見るからにメインストリームだもんな、あの子たち。何も分かっちゃいないな、と反省する。

 

 僕の高校時代の最大のテーマは自己肯定だったと思う。会の趣旨には沿わないからそういう話はしなかったけど、登壇の準備にあたって自分の高校時代を振り返ると、自己肯定に関する諸問題を思い出して、つらくなっていた。多分、今も昔も同じような不全感に悩む高校生はいると思う。

 まだそれが「良い思い出」として消化しきれていないので、できるだけそうした不全感を増幅させないような話し方を心掛けたつもり。逆に言えば周りの登壇者の、(不全感を抱える者にとっては)無神経な発言に内心苛立ちもした。

 そうした不全感を乗り越える手段の一つが学問です、って言えたら良かったけど、僕は留年予定だしさすがに言えまい。

 家に帰るとEテレで「#8月31日の夜に」が放映されていた。学校の息苦しさみたいなものに、久しぶりに触れた思いがした。