荻上チキSession-22 愛国ソング特集書き起こし 中編

 13日夜放送の「荻上チキSession-22」愛国ソング特集の書き起こしです。前編はこちらです。
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多義的な作りの「ガイコクジンノトモダチ」

  ― 前編から続く ―

 荻上チキ そこでですね、今年4月に出たこちらも話題になりました、ゆずの「ガイコクジンノトモダチ」こちらも聴いてみましょう。

  ♪ゆず「ガイコクジンノトモダチ」

 荻上 というわけで、ゆずの「ガイコクジンノトモダチ」、辻田さんから見るとこれも愛国ソングということになりますか。

 辻田真佐憲 うーんどうでしょう。先ほどの「HINOMARU」に関してはかなり論理関係がしっかりしているというか、言いたい内容が明確に分かるんですけれども、この「ガイコクジンノトモダチ」をよく読むと結構接続詞とかが、あるいは語尾とかが曖昧になっていて、言葉の前後関係がよく分からないところがあるんですよね。

 荻上 まあ、詞ですからね。

 辻田 そうなんですよね。例えば「国歌はこっそり唄わなくっちゃね」と書かれてあるんですけど「なくっちゃね」が何を意味しているのか分からないですし、そもそも今の日本でこっそり国歌を歌わなくちゃいけないシチュエーションがあまりないので何を課しているのか分からないですし。

 荻上 歌っているふりしないと怒られるみたいな。

 辻田 そうなんですよ。その後も「外国人の友達が祈ってくれました」という話がありまして、一緒に戦争しないようにってことなんですが、その後「靖国の桜はキレイでした」って書いてあって、これもしかすると靖国神社に一緒に参拝して祈ってる可能性があるわけですよね。でもそうじゃないと言われればそうなのかもしれない。つまり桜を見に行っただけというか。

 荻上 お散歩ルートとして。きれいですから。

 辻田 そうなんですよね。どうとでも言えるようなところがあって、作った方が国を愛する、好きだという気持ちを表したということは書いてなかったと思うので、そういった意味では愛国ソングと断定もしにくいというか扱いが難しい曲だという印象がありますね。

 荻上 なるほど。これ、読み方とすると、愛国ということをむしろ表に出せない被害者意識が歌われている印象を持ったんですが、増田さんはいかがですか。

 増田 うーん僕はちょっと印象が違っていて、これすごく複雑に入り組んでいるという感じがするんですね。「美しい日本 チャチャチャ」ってこのフレーズが面白いなって。「ニッポンチャチャチャ」ですよね普通は。

 荻上 バレーの応援とかならね。

 増田 パロディーっぽい感じがするんです。日本に対するストレートな愛国心を歌っているかのように見せて、それをパロディー化しているようにも見せて、非常に多義的な感じが音楽として聴くとしてくるところがあるんですよね。いろんな読み解き方が確かにできて、そこに屈折した愛国心を読み取ることもできるし、ある種の日本に対するパロディー化するような批判的な意識を読み取ることもできるし。

 むしろポップミュージックってそんなもんですよね。政治的な演説とは違ってていろんな人がいろんな意味を読み込むことができる多義的なものが、例えばボブ・ディランの歌詞のように、それが高く評価されたりしていて、そのあたりさっきの「HINOMARU」に比べると音楽として構造的に非常に複雑でよくできている。これを何か外部の方から、これは愛国歌だとか、これは日本をパロディー化する曲だという風な、既存の政治的な意味に気軽に落とし込んでしまうことに僕としてはちょっと躊躇するところがあるんですよね。

 荻上 様々な文章の読み解き方があったわけですけれども、外国人から日本の愛しているところを問われて戸惑った、この国で生まれてなぜ胸を張れないのかというメインの主張はあるわけですよね。それを一つの、こんなことも言えない世の中なんてみたいな、そうした茶化し方とアレンジでやっていたりするので、自己相対化しているといえばしている、しかしベタなメッセージも盛り込まれているという。ベタとある種ネタのミクスチャーのような格好に歌詞がなっているわけですよね。

既存の政治性に落とし込むことの危うさ

 増田 この曲は、ゆずファンの掲示板なんかで見てると、右翼的な歌だって左派的な人から攻撃を受けてそれに憤慨しているファンがいて。

 荻上 そりゃそうでしょうね。

 増田 その中で「ゆずを応援している人たちがいたよ」ってこの人達がネトウヨ掲示板のリンクを張ったりするわけですよ。多義的な歌が、これは愛国的だとかパロディーだとか、既存の政治的な意味に落とし込まれちゃうと、既存の政治的なルートを象徴するものになってしまっていて、ふわふわしたファンたちが声の強い方に流し込まれていっちゃうということに関して危惧するところがあって。この曲なんかは複雑さ、多面性を持っているだけに、これはいいとか悪いとか左派的とか右翼的だとか、そういう意味に落とし込む危険性を僕なんかは感じたりしますね。

 荻上 それが逆に無思想の怖さということで、無思想を標榜することによって解釈は多義的なんだが、ある意味に対してブレーキを掛けられないとなると、どういった風に転ぶかということも分からないわけですよね。

愛国的なパンクロック

 荻上 増田さんには今日、1曲選曲してきていただいわけですがどうしてこちらの曲を選んでいただいたんですか。

 増田 僕は実は愛国的な人間で、割りと愛国歌というか愛国系のロックバンドがすごく好きなんですね。

 荻上 「ニッポン上げ」な。

 増田 そうした右派的なロックバンドのシーンがアンダーグラウンドなところで90年代末に日本で盛り上がった時期があったんですね。1990年の曲なんですけども「鐵槌」というパンクバンドなんですけれども、非常に右翼的なカッコいいロックをリリースしてるんですけれども、「日本狼」というアルバムを1990年に出していますが、この中から「愛國者賦」という曲を聴いていただきたいと思うんです。

  ♪鐵槌「愛國者賦」

 荻上 増田さんに選んでいただきましたけれども、この曲をどうして選んだんでしょうか。

 増田 これは日本のパンクバンドなんですけれども、元々のルーツとしてはイギリスの70年代のパンクシーンの中にオイパンクとかスキンズと言われるシーンがあってですね。通常パンクロックは左翼的なというかアナーキズム的な、セックス・ピストルズとかそういったものが中心的なんですけれども、右翼的な方向のイデオロギーを抱えるバンドもあったんですね。そうしたオイシーンを日本で憧れて同じような形、ものを。パンクってのは基本的に反抗的な精神というか表象ですよね。左派的なものは体制的なところへの反抗なんですけれども、これは全くイデオロギー的には逆転させたような。それを日本語でやられると結構インパクトあるんですよね、非常に。

 荻上 これ聴いて辻田さんはいかがですか。

 辻田 これ面白いなと思って見てたんですけども、歌詞の中に「消えざるものはただ誠」という一節があって、これは五・一五事件に関与した青年将校が作った「青年日本の歌」というのがありまして、前回出させていただいた時にも流したんですけれども、その中の一節なんですよね。

 増田 ああ、そうなんですか。

 辻田 犬養毅首相を暗殺した人たちが作った歌で、現代でもある意味で右翼の聖典みたいな歌なんですよ。そこからあえて引用しているのでまさに右翼思考の歌だとこっからも見えてきますよね。

 荻上 最後は「目指すはただ一つ 貴様らの首」ということで、要は君側の奸を討つと。

 辻田 そういう風に取れますよね。「必殺の一撃」という言葉もありますし。

 荻上 要はテロリズムに対する肯定の記号がパンクの中に盛り込まれていると。

 増田 そうですね。

 荻上 当人たちのイデオロギーはどうかというのはさておきとして、言葉がミュージックとともに広がっていく構造にはあるわけですね。

反米右翼的な「凶気の桜

 荻上 ここでヒップホップの話をしたいと思います。窪塚洋介さんが主演の映画「凶気の桜」の主題歌にもなったヒップホップユニット「キングキドラ」のリーダー、Kダブシャインさんの曲なんですけど「凶気の桜」という歌があるんですけれども、そちらをお聴きください。

  ♪Kダブシャイン「凶気の桜

 荻上 というわけで窪塚洋介さん、この映画とは別に「GO」という在日韓国人たちの青春を描く映画にも出ていて、その時は様々な排外的なものに対する憤りを答えていたんですが、こちらの映画では日本人らしさに対するバイブス、そうしたものを取り戻さなくてはならないと語るようにはなっていて、社会学者の北田暁大さんがそのあたりのある種無垢であるがゆえに、いろいろなものがベタに導入されていく構図を分析されてたりました。

 Kダブシャインさんは、本人は保守的だと自任されているんですけれども、あるべき日本というものは児童虐待を許さないとかドラッグはやめろとか、ミソジニーな歌詞もあるけれどもみんな共に生きていこうということを志向していたりもして、分かりやすい右に当てはまる方でもないわけですね。ただこの曲では一つの右翼的なワードを散りばめつつ、偽右翼を攻撃するニューヤング右翼みたいなものが主人公の映画だということで「大日本帝国万歳と叫びながら正当化する犯罪」っていうフレーズが入れられてフックに戻るということになっています。増田さんはこの曲はいかがですか。懐かしいですよね。

 増田 僕はこの映画実は見てなくて、曲は聴いてたんですけれども、ラップもパンクと同時期に右翼的な意匠が増えてきたなという印象だったんですけれども、これが面白いのは「簡単にいかせねえぞ こらアメリカ」のライム。

 荻上 反米右翼ですよね。

 増田 反米右翼のイデオロギーが表象されていて、面白いなという感じがするんですね。

 荻上 この時に言われた「売国」は日本がアメリカに売られたという感覚で位置付けられていたりするわけですけども、そうしたことを主張する右翼も現在当然いるわけですよね。辻田さんはどういう風にお聴きになりましたか。

 辻田 逆に戦前の右翼にすごく近いなという気がしますよね。戦前の右翼は極めて反体制で場合によってはテロもするし、国のためであれば。ある意味アメリカというか、君側の奸を打倒するというような。アメリカに媚びへつらっているのが売国奴でそういうのを倒せというか、今の現代の右翼というと安倍政権を推すとかですね、体制擁護・親米的なところがあるので現代からすると異様に聞こえるんですけれども、元々の戦前の右翼が持っていたようなものを感じられる歌詞だなあと思いましたね。

 荻上 右、左というだけでなくてヒップホップシーンの中では最近、女性ラッパーが男性ラッパーのミソジニー、性差別を批判するラップを歌ったり、ホモフォビア、つまり同性愛者批判の文脈を無自覚にインストールして相手を批判する時に「このオカマ野郎」みたいな言葉を使うことを反省する動きもあったりしたわけですけども。Kダブさんは初期の社会派ラッパーとして、いろいろな社会問題を意識的に取り上げつつ、でもまだまだこの初期の段階ではいろいろな課題を残した歌詞も書いているということがうかがえるわけですね。

短絡判断招いた構造

 荻上 もう一つ曲を紹介したいんですけれども、僕としてはまだ誤解されがちな曲だなと思うんですけど、般若の「オレ達の大和」という曲があるのでそちらをお聴きください。

  ♪般若「オレ達の大和」

 荻上 というわけでこれは当時「男たちの大和」という映画もあったりしたわけですけども、「オレ達の大和」、ミュージックビデオは映画のモチーフなんかを散りばめたりしているんですけれども、元々般若さんは妄想族というギャングスターというかストリート系の中でも悪いぜ、本物だぜというガチ系のラッパーで、とてもスキルフルでしかし独特の言葉を使う人だったわけですね。

 この曲が出た時にもヒップホップをあまり文脈的に分からないような、特に社会学系の人たちが、ライムスターの宇多丸さんとかも含めて最近右傾化しているよねという形で語られたりしたんですけども。確かに大和に乗り込んだ男たちのことを讃えているというか慰霊している曲なんだけれども、そんな戦争はするなというところに着地させる歌なので、反戦歌として僕は受け止めているんですね。

 いろんなキーワードとか、確かに着ている服装の格好とかは戦前の物、アイテムが使われているわけですが、使われ方としては、戦争するんだったら偉い同士でやってくれと、核兵器本気でもうやめようよというようなところに着地をさせる、リリック使いのうまさも含めてラップへの偏見が向けられがちなところと、それに対する内面をよく象徴される曲だと思うんです。増田さんはいかがですか、この曲は。

 増田 そうですね。ぱっと見ると大和は、僕の世代だと宇宙戦艦ヤマトを想起させるんですけども、あれも当時は軍国主義的だというふうな形で非難を受けたサブカルチャーの一つだと思うんですけども。

 アニメであるとか漫画であるとかの右翼的な意匠は時代的に先行していて、それが音楽が領域に現れてくるのは結構後の方だったような印象があるんですね。後の方だったからそれの捉え方に関しても、大和という言葉が出ているから純粋にこれは右翼的だという風な短絡的な判断を呼びやすかったんじゃないかなと、そういう気がするんですね。今のチキさんの解釈は非常に妥当だと思うんですけれども、そういう解釈をするまでにオーディエンスが成熟していないというと語弊があるかもしれませんけれども、そういう捉え方をしやすい構造があるんではと、そういう気がするんです。

 荻上 辻田さんはいかがですか。

 辻田 ご指摘にあったとおり特定のキーワードっていうんですかね。個人的な経験だと中学校って90年代後半なんですけど、その時は大和とか軍艦とか好きだったわけですよ。それだけで軍国主義者扱いされるっていうのがあの時代はあって、今とは教育の環境も違って学校もリベラルでしたし、私は私立だったので日教組はいないですけど、日教組みたいな雰囲気があって。ミリタリーに興味を持っているだけで文脈関係なく右翼扱いなんですね。

 今の話を聴いているとまさにそういった時代を思い出してですね。ただそれはもちろん間違っていて、軍艦なりそういったワードはどういう文脈で使っているのかを総合的に読むというのが、ようやくもしかしたらできかけている、我々の社会でですね。ただそこに今のような極端な両極の対立に解釈されてしまうとすごく惜しいので、こういったキーワードをいかに我々の社会が受け入れて位置付けていくか、そういったことをしていかなければならないんじゃないですかね。

 荻上 そうですね。こういった初期のヒップホップのヘッドたちがいろいろな曲を作っていく中で、その後本当にガチに右翼的なライムを踏んでいく人も出て行くし、意図的にそうしたものに抗って、レイシズムやめようよ、という風に歌っていくような人たちも出てくるということで。立場がよりいろいろと分岐していく状況にこの後はなっていくわけですね。

  ― 後編へ続く ―