また夢ンなるといけねえ

成績不振の大学生が書く、日記とかメディアの話とか。幾度となく開設しては閉鎖してを続けてきた我がブログ遍歴。今度は末永く続くように。

オチがない話

 「気を張らなくて済むようになったよな」という同期の言葉が一番的を射ているように思った。1月に引退した報道サークルで仕事を協働することの多かった同期は院進志望だから、留年予定の僕同様、就職活動はしていない。今はそれぞれ進路に関する多少の不安はありつつも、まずはモラトリアムを生きている。

 サークル時代は確かにほんとうの意味での息抜きなどできなかった。いつも頭の片隅にはサークルの仕事があり、ルーティンとしてネタ探しや抜かれチェックがあり、もし何か重要ダネが見つかったらすぐに対応するという状況だった。

 しかも良い意味でも悪い意味でも繊細な心を持つ部員ばかりだから、仕事の進め方や頼み方、頼まれ方を巡る衝突は計り知れない。前出の同期はまさに取材編集の指揮を取る立場だったから、かなり心を砕いたことだろうと思う。

 確かに気は張らなくなった。だけどじゃあ生活が楽しさ満点かと言えば、そうでもない。自分の時間が増えてある程度心のゆとりは増えたが、何かしっくりこない部分がある。

 思えばサークル時代の悩み、つらさは具体的なものだった。後輩とのコミュニケーションがうまくいかない、取材が苦手、校閲に粗が出てしまう、やる気が起きない──。具体的な悩みは共有することができる。彼も含めてよく同期連中とは飲みに行ったりラーメンを食いに行ったりして、日頃の鬱憤を晴らし合った。

 今あるのは漠然とした不安だ。進路に関すること、自らの性質に関すること、過去をどう清算するかということ。極めて抽象的な象限の話で、なんともうまく言葉にできない。

 僕はずっと考え続けているけど、端的に何に悩んでいるのかすらよく分からない。ある側面から見たときに、その断片が見えることがあり、それをこのブログで書き綴ったり、話のネタとして友達と飲むときにしゃべったりはするが、それはあくまでも断片でしかない。

 言葉にできないものを打ち明けるのは難しい。ましてや日頃顔を突き合わせるようなことはもう減った同期との飲み会である。漠然とした話よりも、具体的な話のほうが盛り上がるし、実際飲み会自体は本当にとても楽しい。楽しくしゃべっているうちに、その場では悩みとかは吹っ飛んでいる。

 ふと解散してから、悩みがまたぶり返して禅問答が始まる。そんな感じだ。

 もともと僕はずっとイヤホンを付けて音楽なりラジオなりを聴くことが多いけれど、最近はイヤホンを付けていない時間は、どうもこの禅問答から逃れなくなってきた。人と話しているときは大丈夫だが、講義中とかアルバイト中は結構厳しいものがある。時々もう考えるのがつらくなったせいなのか、徒歩移動中のときは、何かのフレーズを反復して、気付いたらそれが声に出ていて自分でも驚くことが増えてきた。

 澱のごとく積もった何かが、頭の一定割合を常に占めて、ディスクのクリーンアップもデフラグもしていないパソコンの挙動がおかしくなるかのように、自分でも何をしているのか分からなくなる。

 ただ逃避の時間が本当に愛おしい。音楽も、ラジオも、そして会話も。今もイヤホンで、DATE COURSE PENTAGON ROYAL GARDEN「REPORT FROM IRON MOUNTAIN」をループ再生しながらこれを書いている。

 オチが思いつかないままここまで書いてしまった。まあ要は何が言いたいのかっていうと、飲み会が本当に楽しかった、ってだけの話なんですけど。