「先生」呼ばわり

 報道サークル時代、同期には優秀な部員が多く何人か「先生」呼ばわりされる人間がいたが、僕はその筆頭格だったと思う。部員教育の主担だったし、ことあるごとに研修会をやったり教材を作ったりしたからまあそりゃそうなるかという感じだが、僕は「先生」と呼ばれることがあまり好きではなかった。

 より正確に言えば、こいつに「先生」と呼ばれるのはいいけど、こいつには呼ばれたくない、みたいな意識があった。

 大抵、呼ばれて気持ちいい場合はお互いに「先生」と呼び合っているパターンである。この種の場合、普段は「先生」と呼び合わない。何か技術的相談だとか、あるいは他の部員には通じないようなとっておきの話のネタを仕入れてきたときに、親しみを込めて「先生」と呼びあうわけだ。あくまでも会話単位のギミックとしての呼称である。

 一方呼ばれて嫌な場合は、一方的に向こうから「先生」と呼ばれるパターン。明らかに僕が相手を「先生」と言うと違和感しかない場合(違和感の原因はさまざまで、単なる能力差だけではないこともある)がそれに当たる。この場合の「先生」に親しみはあまり感じず、単なる僕の能力や所作に対する敬意表現として使っているだけなんだろうと思う。この手の「先生」は24時間365日、いかなるときも「先生」である。

 さすがに僕も「先生とか呼ぶな」とキレることはしなかったけど、内心極めて不快だった。敬意だけの「先生」にはどうしても距離を感じる。それ以上、距離を近づけるつもりがないという意志だと思ってしまう。多分向こうはそこまでの意識はしていないのだろうけど。

 ある時、以上のような趣旨の話を、僕と同じように「先生」と呼ばれることのある部員にしたところ、おおむね同意された。やっぱりみんな思ってるのねとちょっと安心したけれど。

 あとついでに、とても印象的な後輩が一人いて、過剰に謙虚な振る舞いをしてくる女子部員だった。彼女は謙虚すぎて「先生」呼ばわりさえせず、半ば僕の前では緊張した感じでいろいろ案件をよこしてきていた。最初は何か意図でもあるのかなと思ったのだけれど、どうもそうじゃなさそう。僕は優しくないから、彼女に「慇懃無礼」という言葉を教えることはしなかった。