can'tだったのかdon'tだったのか

 快速電車を降りて電光掲示板を見ると、次にもう1本快速が来て、普通電車はその後になるという案内だった。いつもなら定期券で改札を出て、駅隣接のコンビニで何か見繕って10分程度の待ち時間に小腹を満たす。だけど財布に余裕がなかったから、おとなしくベンチに座っていた。

 なぜコンビニに行くかと言えば、間違って次の快速に乗ってしまうからだ。幾度となく過ちを繰り返して車窓を流れ去る最寄り駅を見てきた。

 今回もやはり案の定快速に乗ろうとしてしまった。おっとっと、危ない危ない。引き返してベンチに腰を下ろす。

 今、駅のベンチは線路に対して並行ではなく、垂直に据え付けられるようになった。酔客がうたた寝から急に起き上がって、状況がよく分からないまま前に歩き出して線路に転落し、人身事故が起きることがよくあるらしい。垂直に配置すれば前に歩いても前の座席にぶつかるだけ。さすがに死ぬことはない。

 僕が座ったところはちょうど前の席もこちらを向いている。そのまさに僕の正面の席に快速から降りてきて座ったのが、多分高校1年か2年といった年頃の男女カップルだ。彼氏が165センチ、彼女が160センチくらい。気温が上がった日だからか、詰め襟ないしブレザーはどちらも着ておらず、白いシャツ姿。どちらも肌がやや褐色気味だったので運動部だろう。この時期の日焼けだから水泳部じゃなくて陸上か球技かな。時刻は午後9時半を過ぎたところだった。

 彼女が背負っているのが小ぶりのリュックサックだったから、きょうは部活じゃなかったんだろうなあ、と思っていたら、よくよく見ると彼氏は何も持っていない。手ぶらである。うーん、どういうことだろうと考えている間に普通電車が到着したので乗った。そのカップルも別の車両に乗っていた。

 最寄り駅。ゴミ箱まで歩いてペットボトルを捨て、改札につながる階段の方向へ振り向くと例のカップル。やはり彼氏は何も持っていない。

 あ、そうか。これは一度2人で彼氏の家に寄って幾ばくかの時間を過ごし、彼女を送っているところなのか。わざわざ電車に一緒に乗るなんて、彼氏できるやつやんと良いものを見せてもらった気分になった。

 でもいやいや、待て待て。僕は反「お家デート」派だった。家族からしたら迷惑極まりない。中学時代、友達が、いつも兄貴が彼女を家に連れ込んで迷惑だって嘆いていたなあ。結局本人も彼女できたら家に連れ込んでたけど。

 なんだこいつら、と心の中で中指を立てるのであった。いや、もちろん冗談ですよ。

   ◇

 ふと、もう高校を卒業してから5年がたったのかと思った。

 高校はターミナルから東に徒歩2、3分の静かな住宅地にあって、帰りには駅西側の繁華街でよく遊んだ。遊んだと言ってもゲーセンで音ゲーに勤しむ友達を見ていたり、餃子の王将で飯を食ったり、ファストフード店に長居してひたすら雑談したりといった程度のものである。

 良くも悪くも僕の高校生活は、この駅周辺で完結していた。自転車通学だったし塾にも通っていなかったし、休日に友達と梅田やミナミまで出ることもそんなになかった。

 今の片道110分の通学生活からすれば浅ましいばかりだが、当時は電車通学で友達と寄り道することにあこがれがあった。こいつと、この人と寄り道すれば絶対に楽しいだろう、という人も明確にいた。でも現実にはそんな思い出はない。センター試験が終わって友達と一緒に電車で帰った時は、珍しく念願叶った瞬間だった。でも僕もみんなも疲れていたから寄り道なんてしなかった。

 周囲には、僕が経験してこなかった景色が在る。それは僕が選択肢として選べなかったものもあるし、選ばなかったものもある。では友達と、恋人と、放課後、電車に乗るという景色はどうだったのだろう。

 あの日焼け気味のカップルを見て、ああ、僕にも選ぶことはできたのかもなあと思った。

 通ってこなかった道を、通れなかったのか、通らなかったのか、絶対的に一方のどちらかであると言い切ることは本当はできないのかもしれない。いずれか、そう思っておいた方が自分にとって厚生的だから、一応どちらかに振り分ける。でもその判断に普遍性、一貫性なんてものはない。ある時は通れなかったと思い、ある時は通らなかったと思う、そうやって自分の手からこぼれ落ちていった可能性や選択肢を惜しむだけだ。

 例えば恋人に関係の解消を切り出す時、別れる理由(として伝えるもの)如何で、振られる側がcan't/don'tを選択する負荷から免れる場合がある。つまり、例えば「あなたが悪いわけじゃない」とか「自分がどうしていいか分からなくなった」とか。今のはcan'tに仕向ける例だったが、don'tに仕向ける例もあるだろう。そうか、あの人のあの態度は僕をdon'tに振り向ける優しさだったのだな、って僕にも思い当たる節がある。いや、ホントのところはわからない。そう僕が思いたいだけかもしれない。結局はどうどうめぐりだ。

 あのカップル。改札を出た後、彼女が捜し物でもするのかリュックサックを肩から外し、ファスナーを開けながら床へ下ろそうとした瞬間、彼氏が下から抱えて持ってあげていた。その気の利き方には、反実仮想をこねくり回す無駄な時間なんてなかった。

 現実をcanなりdoなりに仕向けていくとは、そういうことなのだと思い直し、僕も頑張ろうと思った。きょうから新学期。仕切り直しの1年である。