また夢ンなるといけねえ

成績不振の大学生が書く、日記とかメディアの話とか。幾度となく開設しては閉鎖してを続けてきた我がブログ遍歴。今度は末永く続くように。

僕の親は何を考えているのだろう

 留年が決まった。

 しないに越したことはないけれど、仕方ないこととして自分の人生としては受け入れている。そもそも成功者としての人生は、これまでもなかったし今後もないだろう。

 ただ親への負担をかけることになってしまい、そこは本当に申し訳ないと思っている。

 

 僕は自分のことを出来損ないの子どもと思っている。やや重めのアレルギーを持ち、体質改善のためにと親が入れてくれた少年サッカーのクラブでは「課題に向けて頑張る」ことができないせいで、毎日監督の叱責を受け、半ば鬱のようになった。大学受験も一浪し、結局中途半端な大学に入り、そして今般の留年である。

 (いま挙げた属性をもって他人を出来損ないと考えるつもりは、自分でも不思議だけど一寸たりともない。あくまで僕個人の話だ。僕も単純に今のような属性のみで自己評価しているわけではない)

 これまで多分人間関係には恵まれた方だったとは思うが、むげにした部分は多いと思う。僕のコミュニケーション能力が乏しいのにあれだけ仲良く遊んでくれた人間と、結局関係が途絶えた、ということはよくある。

 親は「お前は賢いから」とか「やればできる」とか声を掛けてくれてきた。はったりではなく大部分は本心からの言葉だったと思うが、僕は自分はそんな人間ではないと認識している。

 

 親は子が自らの子であるというだけで可愛いものだといわれるが、実際にはそうでもないようなケースが世の中にいくらでもある。だから僕は恵まれているだろうし、と同時に、親を見て、この人たちはなぜ僕を育てるんだろう、と思うこともよくある。

 多分もっと早くにアレルギーを克服するだろう、足捌きが器用だからちゃんと練習すればスタメンに入れるだろう、賢いから上位の大学に入れるだろう──。そういうささやかな希望を僕はずっと裏切り続けたことになる。それでも(そのことについては)激昂したり見放したりしないこの人たちが、一体何を考えているのか僕には分からない。

 

 子に裏切られ続けてきた親が不幸なら、子も子で不幸だ。22年の人生で、体のどこにも痛みがない朝に目覚めたことは多分一度もない。ひどい湿疹で腕や脚の関節を思い通りに動かせず、脚を引きずりながら登校し痛みをこらえながら体育の授業に出るなんてことは日常茶飯事だった。いい大学に行きたいと思うことはなくても、いい大学に行かねば承認されないという焦りだけはあった。とにかく、未来に希望なんてないのだから、いかに希死念慮と付き合いながら今後の長い人生を生きるかということで今も頭の中は始終いっぱいだ。

 

 僕は一般化された反出生主義には立たない。周りには明確に今を幸せに生きる人間もたくさんいるし、学生記者としてそういう人たちを実際に目にしてきた。だから生まれてこなかった方が良い人間などいないと、心から信じている。

 だけど、少なくとも僕は、自分の生を肯定できない。これまでも肯定材料になるような経験は何度かあったけど、あとでそれを覆す否定条件に遭遇して仕切り直しになるばかりだった。

 

 そんな子を持つ親が一体何を考えているのだろうか。僕に分かる日なんて来るのだろうか。