野中広務氏死去…各紙の評伝を読む

 官房長官自民党幹事長などを歴任した野中広務氏が26日午後に亡くなった。評伝記事の読み比べをしたかったので、朝毎読産日の全国5紙と京都、神戸の地方2紙を購入した*1。今回はその感想を書き留める。なお野中氏死去関連の記事の見出しや扱いについては、最後に一覧で記述した。

記事展開

 各紙とも1面で本記*2を掲載。京都はトップに据えた。1面に本記、総合・政治面に評伝や中央政界の反応、社会面にサイド(地方紙は府県内の反応も)を載せるというパターンがほとんどで、日経のみ社会面での掲載はなかった。

 野中氏は「幅広い情報収集と鋭角的な発言で政敵に切りつける政治手法が『政界の狙撃手』と評された一方、平等や平和といった戦後民主主義の価値を重視する姿勢を貫いた」(朝日本記)政治家で、毀誉褒貶相半ばする方だと思う。その人柄を表すように、政治面では剛腕ぶりについて、社会面では弱者に寄り添う姿勢について書いた記事が載るというパターンが多く見られた。新聞の紙面展開としては常套手段だろう。

評伝の焦点

 評伝は、単に「この人は何をしました」と書き連ねても面白くないので何かしらの筋、ストーリーを展開するのが普通だ。

平和への思い

 平和に対する姿勢を前面に出したのが日経、京都、東京。

 日経は初段落で、19歳の野中青年が、終戦時に仲間と海岸に集まって自決しようとしたところを将校に戒められたエピソードを紹介。「戦争世代に生きた者の贖罪(しょくざい)だ」とのセリフを引用した。

 京都は「『闘う政治家』のイメージが強かった野中広務さんだが、実際は「情」の人だった」の文で始めた。1997年の沖縄米軍用地特措法改正案審議で、沖縄の米軍用地の継続使用を認める内容の法案に野党の一部も加わって衆院で可決された時、野中氏は特別委員長だった。委員長として行った国会報告で「大政翼賛会のようにならないように」と釘を刺したエピソードが取り上げられている。

 東京は、現在にもつながる公明党との連立政権樹立で役割を果たしたとした上で、同特措法の国会報告発言や、自衛隊イラク派遣をめぐる衆院本会議採決の欠席など、反戦・平和への姿勢に紙幅を割いた。

政治手腕

 一方、政治手腕にスポットを当てた社も多かった。

 毎日は官房長官時代の国旗・国家法案に注目。リベラルなイメージと相反する右寄りの法案に肩入れする不可解さを「真骨頂」と評価。法案は「制定趣旨も歴史も、義務や罰則の規定もない徹底した実務本位」で、「戦後政治の左右対立を逆手に取り両方のバネを巧みに利用して、現実課題を片付けていく処理能力が野中政治の真髄」と解説している。

 さらに法成立には、法案に慎重な公明党に「権力を担う覚悟を固めさせる」意味もあったと指摘し「公明党の政権参画が平成政治史の過半に及ぶ礎は野中氏が築き、端緒は国旗・国家法だった」と政治史上の野中氏の存在感を語った。

 読売は、加藤紘一氏による森政権倒閣の動き「加藤の乱」鎮圧を「野中氏が最も力を発揮した」場面として紹介。人情家としての側面については、幹事長時代に、党や官邸の職員を休日出勤させまいと、日曜夜の会合は党本部や首相官邸ではなくホテルの料理店で開くことが多かったという話を書いた。

 神戸掲載の共同電は、野中氏を情報となさけの二つの意味で「情」の政治家だったとした。政界では90年代からいち早く携帯電話を使いこなし、できるだけ列車を使って沿線の変化を観察、飛行機に乗った時でも降りるとすぐに携帯電話の留守電を聞き続けていたという情報重視の姿勢に触れた。

朝日は梶山氏との闘い活写

 やや異色の書きぶりだったのは朝日。前述の特措法審議時の国会報告を取り上げているが、方法論での梶山静六官房長官(当時)とのバトルという側面で書いた。つまり「敗者」としての野中氏の側面を取り上げている。少し長いが引用する。
 

 野中氏は、自民党幹事長代理、衆院の特別委員長として、衆院過半数をぎりぎり超える自社さ連立政権の枠組みを基本に、可決しようとした。それが米国を強く牽制(けんせい)できる「緊張感」を生むと信じたからだ。
 他方、梶山静六官房長官は、同じ牽制でも別の道を考えた。新進党との「保・保連合」による圧倒的多数の可決だ。野中氏は、我々担当記者を相手に梶山氏への怒りをあわらにし、それに抗しようとしない橋本官邸や自民党を憂えた。
 そして方法論では梶山氏に負けはしたが、衆院本会議での可決に先立つ委員長報告の最後、野中氏は異例の発言に及んだ。
 「……古い苦しい時代を生きてきた人間として、今回の審議が、どうぞ再び大政翼賛会のような形にならないように若い皆さんにお願いをしたい」
 「一強」の今日あらためて思う。戦争体験と沖縄への思い出は同じ2人が方法論で真っ向勝負を挑んでいたのだ。当時の自民党がいかに健全な多様性を有していたことか。

 朝日と毎日の評伝は、具体的なエピソードを取り上げつつ、現在の政治状況と照らし合わせた上で、野中氏の政治が史上にどんな意味を持つのかという一種の史観を提示している。好き嫌いはあると思うが、僕は評伝というのはこういう書き方であって欲しいし、こういう評伝が読みたい。少なくともそうでなければ「評伝」を載せるニュースバリューを担保できないのではないかと思う。

 産経は極めて中途半端な筆致で、うーむという感じ。ここで取り上げたくなるような部分があまりないし文章量も短く、残念だ。

資料

【評伝記事見出し】

 ▽朝日 ◎権力の中枢で「反権力」 野中氏、弱者への思い強く (編集委員・曽我豪)=第4総合面*3準トップ
 ▽毎日 ◎孤独な闘士、最後まで貫く 平成の政治体現 (編集委員伊藤智永)=第3総合面トップ
 ▽読売 ◎「加藤の乱」鎮圧に手腕 「政界の狙撃手」人情家の顔も (元政治部次長・小林弘平)=政治面トップ(中央政界反応)関連記事
 ▽産経 ◎言葉の武闘派、気配りの人 (松本浩史)=政治面
 ▽日経 ◎「反戦の闘士」貫く (ソウル支局長 峯岸博)=第3総合面
 ▽京都 ◎情ある「影の総理」 「9条大事」訴え続け (高田敏司、石川一郎)=社会面トップ
 ▽神戸 ◎剛腕「政界の狙撃手」 「加藤の乱」も鎮圧 (共同通信論説副委員長 川上高志)=第3総合面トップ、共同電
 ▽大阪日日なし
 ▽東京 ◎戦争体験、平和訴え 改憲には慎重 (吉田昌平=元政治部記者、寄稿)=3面準トップ

【1面本記見出し】末尾は見出しの段数と紙面の段数。

▽朝日 ◎野中広務氏死去 元官房長官・自民幹事長 =3段(12)
▽毎日 ◎野中広務さん死去 元官房長官、元自民幹事長 92歳 =3段(12)
▽読売 ◎野中広務氏死去 92歳 元官房長官、自民幹事長 =2段(12)
▽産経 ◎野中広務氏死去 元官房長官、自民幹事長 92歳 =3段(12)
▽日経 ◎野中広務氏死去 官房長官など歴任、92歳 =2段(15)
▽京都 ◎野中広務氏死去 元官房長官、国政で要職 92歳 =4段(12)、トップ
▽神戸 ◎野中元官房長官が死去 92歳、自自公連立に尽力 =3段(12)、共同電
▽大阪日日 ◎野中元官房長官が死去 92歳 自自公連立に尽力 =4段(15)
▽東京 ◎野中広務氏死去 92歳 自民ハト派、元官房長官 =3段(12)

【サイド記事見出し】(中央政界の反応に関する記事は除く)

▽朝日 ◎反戦と反差別闘った 権勢と情の政治家 =社会面トップ
▽毎日 ◎地方・弱者に寄り添い 差別撤廃に尽力 =社会面準トップ
    ◎改憲反対 戦争の語り部 =同関連記事
▽読売 ◎「反戦と平和」最後まで 弱者の目線持ち続け =2社面トップ
▽産経 ◎「誰より京都を思っていた」 地元政財界、悼む声 =社会面準トップ
▽日経はなし(中央政界反応を第3総合面・評伝の関連記事として掲載)
▽京都 ◎兄のように信頼/府発展の基盤 京滋、惜しむ声 =社会面トップ(評伝)関連記事
▽神戸 ◎阪神・淡路復興を担当 被災者支援法成立に尽力 =第3総合面トップ(評伝)関連記事
▽大阪日日、東京なし

脚注

*1:地下鉄東梅田駅近くの売店「近販東梅田売店」で購入。全国紙は大阪本社版。朝日14版、毎日14版大阪、読売14版、産経15版、日経14版、京都17版、神戸15版。

*2:ニュースの骨格を書いた記事で、その日の紙面のその話題の基本的な事項を押さえた内容になる。

*3:他紙は2面を第1総合面扱いとすることが多いが、朝日は1面を第1総合面扱いとしている。