また夢ンなるといけねえ

しがない男子大学生。新聞サークルの記者をしている。堺、六甲、西中島南方が生活の拠点。

沖縄旅行録=3日目(29日)、最終日(30日)

 サークルの旅行で8月27日から3泊4日の行程で沖縄を訪ねた。幹事が自由行動の時間を長めに取ってくれたこともあり参加者の中でも多少、訪問地は異なるが、僕は那覇市恩納村北谷町、名護市の4市町村を訪問した。僕の沖縄訪問は初めてである。

 今回は3日目と最終日の模様。

おはスタが飛んだ

 ホテルのロビーでうたた寝。目を覚ましたのは午前6時2分ごろである。テレビがJアラートの画面を映し出しているのに気付いた。北朝鮮がミサイルを発射したのだ。

 ヤバい!と思って慌てて対象地域を確認。近畿地方が含まれていないので、報道サークルとして速報対応する必要はないと確認。一息ついて部屋に戻ることにした。正確に言えば自分の部屋ではなく、前夜、あの辛気臭い話をしていた部屋である。自分の部屋は本当に寝たい人のために割り当てられているので、インターホンを鳴らすのが忍びなかった。

 運営局長がドアを開けてくれた。僕は「テレビつけろ、NHK!NHK!」と言った。運営局長はよく飲み込めていなかったようだった。「ミサイル、Jアラート出ちゃったよ。うちは関係ないけど」。その後はテレビを見ながらツイッターを開いてテレビファンのタイムラインを見ていた。テレビ東京けものフレンズを予定通り放送したのも確かに大ニュースだが、おはスタを飛ばしたのはもっと大ニュースだった。テレビファンにとってはね。まあ沖縄にテレ東系列局はないんだけど。

 結局2時間ほどの仮眠しか取っていないし、前夜の辛気臭い話に疲労困憊。午前中は北谷町美浜の「アメリカンビレッジ」でショッピングとランチだったが、隣接のイオンのフードコートでちんすこうをかじりながら、やっぱりうたた寝していた。

大声を出す

 アメリカンビレッジを発ったのは午後1時15分頃だったと思う。借り切ったバスは今夜の宿である那覇市内のホテルへ向かっていた。

 午後1時半すぎくらいだったろうか。ツイッターを開いてニュースチェックをしていると、とある大学関連のニュースを伝える大手各社の記事が目に入った。うちも出さねばならないレベルの速報記事だった。

 速報を感知したら大声を出す、というのは僕の記者生活の基本である。周りの部員にも知らせるためであり、今から速報を出すぞという奮起のためでもある。「社会班!速報や!」。社会班デスク(運営局長)と、社会文化部長、僕でどうするか対応を協議した。

 いつものパターンで行くことになった。すなわち僕が原稿を書き、デスクが裏を取り、社会文化部長がチェックして配信、というパターンである。僕は執筆スピードが速いし、デスクは原稿校閲、特に事実関係に関するチェックがきめ細やか。社会文化部長は紙面での扱いとの兼ね合いなども踏まえ、バリュー判断をして記者に指示を出してくれる。このパターンで何本も速報記事を出してきた。

 大学が公式ウェブサイトに掲載したPDFを基に原稿を書き、デスクに見せ、その間に社会文化部長と記事の方針を調整。デスクが裏取りのためのメールを出す準備をしてくれた。

 2時すぎホテルに到着。チェックイン後、僕とデスクは同部屋だったので引き続き校閲のやり取り。時間を見計らいデスクはメールを出した。僕がトイレに言っている間に部長も合流。引き続き原稿を調整していると、先方から返信があり裏が取れた。最終チェックをして午後4時前に配信できた。一苦労である。

久し振りに酔っ払った

 やれやれ、とひと仕事終えて僕と運営局長(社会班デスク)は、ゆいレールに乗った。テキトーな駅で降りて散策でもしようと1日目に決めていた。

 結局降りた駅は「市立病院前」駅。この直前にほぼ直角の急カーブがあるためだ。車窓を見ながら「おお〜」と詠嘆。降りて近くのコンビニで炭酸飲料「ドクターペッパー」通称「ドクペ」を買って飲みながら歩いた。このあたりは神戸のように勾配が急で、上り坂がきつかった。近くに公園があり子どもたちがはしゃいでいるのを見た。

 30〜40分くらい、やはり沖縄は町並みが違いますなあと雑談しながら散策して駅に戻り、夜の宴会場所の最寄り、美栄橋駅へ向かった。集合の6時15分まではまだ数十分あったので、近くのジュンク堂書店那覇店に寄った。入り口すぐそばに、地域紙「八重山日報」「八重山毎日新聞」「宮古新報」そしてなぜか「東京新聞」もあったので慌てて買った。人文社会関連の区域には沖縄関連書籍のコーナーがそこそこの広さであり、本土ではまず目にかけないような本に新鮮な思いをした。それでも社会書のメインは愛国関係で、うーんと思ったのも事実。

 いい時間になったので宴会場所の居酒屋へ。幹事の遅刻芸はここでも健在。6時25分くらいになってやっと現れた。

 みんな集合したので適当に掘りごたつ式の座敷に座ったら、僕のテーブルはほかが全て1〜2年の女子になってしまった。後輩諸君も気の毒だが僕は僕で気の毒なのである。

 後輩たちがいろいろ質問してきた。「このサークルのブラックさってなんですか」とか「先輩はなんでこのサークル入ったんですか」とか。どれも一言二言では話せない深い事情があるので、頑として答えなかった。まだ君らに話すのは早いよ。

 ビールのペースが速かった。すぐ顔が赤くなる質なので、慌てて眠くなる前のニュースチェック。なんとここでも速報が入ってしまった。慌ててパソコンを開き原稿執筆。あとは先程の繰り返しである。1日に2本も那覇から速報を出すと思わなかった。

 ある後輩が言った。「バスの中で速報書いてたじゃないですか。あれ見てすごいなあと思いました」。それはどういうこと、記者っぽいとかカッコイイとかそういうこと? と聞くと首を縦に振るので「こんなのなんにもかっこよくないよ」と返した。こういう速報作業がかっこいいと思ってるうちが華である。って1年にそんな暗い話する必要なかったなと、言った直後に反省した。

 速報を出してしばらく経つと、自然と席替えのような状態になり、僕のテーブルにも男子陣が何人か集まってきた。するとなんと恋愛論が始まってしまったのである。「重い」とは何か、とか、「長続きするにはどうすればいいか」とか、よくある話である。先ほどとは別の1年女子が聞いてきた。このサークルの男子はまずろくでもない。聞く相手間違ってるぞと思いつつ観戦。気がつけば僕も論議に加わっているので、酒とは恐ろしいものである。

 店から出ると頭が重く、歩みもふらついた。こんなに酔っ払ったの久し振りだなあと思いながら、モノレールに乗りホテルに帰った。

 2次会は話題もあまりなくそんなに盛り上がらなかった。前夜でお腹いっぱい、という感じだったのかもしれない。

さよなら沖縄

 翌朝、沖縄を発った。帰りの飛行機はそこまで揺れなかった。やはりほとんど寝ていた。

 大阪に着くと、意外とあっけなく終わっちゃうもんだなあと思った。昨日はさんざんな誕生日だったなあと思いながらスーツケースをひきずり編集室へ。旅行中休みにしていた当直作業を終わらせ、帰宅した。

 今のサークルは来年1月に引退の時期が来る。それまで旅行はないので、今回が最後となった。夜中に辛気臭い話をするのも、旅行中に速報がないか気にしながらスマホを触るのもこれでおしまい。あとは引退までひたすら活動に勤しむのみである。