また夢ンなるといけねえ

しがない男子大学生。新聞サークルの記者をしている。堺、六甲、西中島南方が生活の拠点。

肩書につかまる

 僕が身を置くサークルは、3年生の1月上旬が引退期なのだが、その2週間後くらいに「新年会」と称して引退生を労う飲み会が行われる。

 このとき、引退生の寄稿をまとめた小冊子が配られる。内容は、3年間の自身の活動を振り返ったものや、後輩へのメッセージなど。

 はっきり言って自己満足の文章ばかりで、部に残る側からすれば読んでも何ら面白くはない。こうして駄文を書き連ねる人間が言えたことではないのだろうが、まあそれでもつまらないものはつまらないのだ。

 とは言いながらも内容は気になるから、一応目を通した。ある先輩は後輩一人ずつに短いメッセージを寄せていた。僕にはというと、辛そうに見えるときがあるのでもっと肩の力を抜いてもいいのでは、とおおよそそんなことが書いてあった。

 じゃかあしいわい、と心の中で生意気言いながら、図星だなあとも思う。

 そんなことを考えていたらある記事が目にとまった。

https://www.buzzfeed.com/satoruishido/otoko-mondai?utm_term=.ciD2NRNBp#.kmkB0l0oe

 「男はつらいよ」ではなく「男がつらいよ」。なるほどうまいなあと感心した。

 役割意識というのがあって、この記事で言えば「男」というラベルがそれに当たる。確かにこのラベルは厄介で、「男なんだから」が頑張るきっかけになったこともあるし、でもやっぱり頑張ってもうまくいかないことのほうが多いからしんどい。でもラベルがなくなったら、自分はどうやって「頑張ろう」という気になるのか分からない。そういう人間の一人として僕も在る。

 僕は肩書とか役割がないと頑張ろうと思えない人間なのかなと感じることが多い。「肩書にとらわれずに」とか言われても、肩書がなくなれば多分何もしない。だから自分で勝手に何か名乗ってみたりする。形から入る、ってやつだ。

 昨年1年間はローカル面編集長、今年は編集部門長の肩書があるから助かっているという意識がすごくある。

 ただ周りには肩書の副作用が目立って見えるらしい。確かにしんどい面はあるし、ローカル面編集長をもう1年やれと言われたら勘弁願う。

 柔軟性のない人間だなあと自分の弱さを実感しつつ、だからどうすればいいのかも分からず。しばらくは肩書にしがみつくのだろうか。