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また夢ンなるといけねえ

しがない男子大学生。新聞サークルの記者をしている。堺、六甲、西中島南方が生活の拠点。

視線の裏の気苦労に思いを馳せて

雑文
 昔、といっても1年半前くらいだけど、サークルの先輩が「部内恋愛は良いよ」と言ってきたことがある。曰く「お互い事情が分かるから」と。報道という実務的な活動をしている都合上、新聞の入稿期には多忙を極めるし、なんだかんだで時間のやりくりには知恵が要る。2人の時間が作れないようなことがあっても「お互い事情は分かるから」と我慢しやすい、そういう趣旨だろうと受け取った。

 でも部内恋愛というのは大体、厄介扱いされることも多い。人間関係の調和が、部内恋愛の存在によっていびつになってしまう場合が間々ある。それ自体を楽しむようになると、サークルクラッシャーとかビッチとか言われるのだろうけど。

 うちのサークルのように実務的側面が大きいところだと尚更で、人間関係のズレが仕事に影響し出すと、さらに部内恋愛への風当たりは強くなる。そういうことを懸念する人間は、サークルメイトとの交際に慎重になる。

 僕はというと、別に部内恋愛に対してはネガティブなイメージを持っていない。仕事に何か不具合が出ても、人間が集まっている以上は仕方ないと思っている。でも自分が部内恋愛に乗り気になるかと言われれば、多分気が進まないだろうなあとも。

 先日、別のサークルにいる友達と喋った。そちらでは、引退するメンバーが部内恋愛のレッテルから逃れられるのを機に、元々好意を寄せていた相手に告白しようとする動きが出ているらしい。逆に言えばそれくらい、気を遣いながら日々の活動に当たっているわけだから、偉いと言えば偉いのか。

 僕のサークルでも、恋愛に限らず、人間関係の変化のなかで、表面化しないような視線のやりとりがなされていると感じる。気苦労の多い世界だなあと思いながら、生来のゴシップ欲が想像をかきたてる。貧しい性根だなと思う。

 自分は当事者になり得ないと思っているから、ある程度楽しく見ることが出来ているけれど、やりとりの当事者からしたらたまったもんじゃないのかな。

 報道は事実を扱う営為だけど、事実にすらなれずに心のなかで押し込められる感情を弔える余裕が、みんなにあるのだろうか。僕にはあるだろうか。そんなことを考えながら、きょうも原稿と向き合っている。