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また夢ンなるといけねえ

しがない男子大学生。新聞サークルの記者をしている。堺、六甲、西中島南方が生活の拠点。

大泣きする仲間たちと、泣けない僕

雑文
僕は女の人が泣いているのを見るのが苦手だ。と書くとキザなように見えるが、僕がどうすればいいかわからなくなってしまうだけのことである。 

先日もそういう場面に際した。サークル旅行の宴会場で一部の女性陣が集団で大粒の涙を流していた。さすがに本人たちも途中からいたたまれなくなったのか、障子の裏に移っていったがそれでもまだ泣いているらしい。

僕は別の集団で、容姿端麗な女性の先輩になぜ彼氏が出来ないのかについて「討論」していた。後ろで何かを話しながら延々と涙を流し続ける女性陣の動向が気になりつつも、僕が立ち入る場ではないと判断して、討論を続けていた。

涙の理由はその後、急迫した深刻なものではなさそうだと、なんとなくわかるのだが、それにしてもあの時の自分は何ともみっともない有様だったと思う。行動は全く正解で、涙の共同体が形作られた以上は外部が入るのはやはり違う。カタルシスの場を邪魔してはいけない。それはわかっている。だけれども、こちらはこちらでいたたまれない。涙は、それを見た者に何か行動を訴えかけているように錯覚させる効果があるんじゃないか、とまで思う。

僕も子どもの頃はすっ転んで泣いたことはよくあるし、少年サッカー時代は監督にどつかれ叱責され毎日のようにわんわん泣いていたのだが、中学以降はめっきり泣かなくなった。理由はわからない。ただ、泣けないのである。悔し涙も、歓喜の涙も、感動の涙も。

ただ一つ、例外があった。それは僕がまだ高校1年の頃、2012年3月11日の夕方、気仙沼の仮設商店街に行ったときだった。前年8月に初めて訪ねた気仙沼の街並みには人がいなかった。車は通りすぎるが、歩く人の顔は見えない。みんなどこにいったのだろう、と思うほどだった。でも震災から1年の節目の日、商店街はたくさんの人でにぎわっていた。その光景を前に、急に涙をこらえることができなくなった。声が上ずるほどだった。

あの日から僕は、一度も泣いていない。胸に熱いものがこみ上げても、涙にはならない。

その気仙沼の涙は僕の人生の転機になったが、 翌年の暮れにも人生の転機となるような出来事があった。詳しくはここでは書けないんだけれども、僕にとってはまさに救いだった。あの時は泣けなかった。体が熱くなり、頭がぼうっとなって眩暈がするほどだったが、涙にはならなかった。このときに「あ、もう僕は今後泣くことはできないのかもしれない」と思った。今もそう思う。

だから、宴会場で集団号泣大会を繰り広げている女性陣を見て、不謹慎かもしれないがちょっとうらやましく思った。男が泣くのはみっともない、とはいえ、泣きたくても泣けないのはなかなか辛い。

翌日、号泣メンバーの一人が自分の身の上について少し語ってくれた。相手のプライドを保つためにも同情はするまい、と肝に銘じながら話を聞く。話し手としても聞き手としてもうだつの上がらない自分を、会話の相手として選んでくれることに感謝しながら、いつか涙の共同体に加われるようになればいいなという、ささやかな夢を持った。