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また夢ンなるといけねえ

しがない男子大学生。新聞サークルの記者をしている。堺、六甲、西中島南方が生活の拠点。

遠くなり行く「青春」の幻影が交錯したとき

学生記者をやっているものだから、関西圏のあちこちの大学に行く機会がある。先日、とある大学へ赴き、監督として映画を製作した学生の話を聴いた。その学生は僕の高校の同期だった。同期どころか、報道部で一緒に活動していた仲間だった。

上映会のあと、僕は「監督」に近寄る。所属と名前を挙げて話を聴こうとするがどうもぎこちない。「お前に取材されるの、こっちが恥ずかしいわ」「それは僕が一番わかってる」。こんな調子である。

映画では、様々な事情で家庭に居づらさを感じて家出した少女たちが、スリで金を稼ぎ共同生活する様を描いている。少女たちの、スリが成功したときのスリルと一抹の快感、根底に流れる寂寥感と不安定さ、そしてそれでも容赦なく流れる時間。ステレオタイプとは程遠い「青春」を表現した良い作品だと素直に感じた。

だからこそ、取材はどこかこっ恥ずかしい。だって「監督」の高校時代を僕は知っているんだもの。「監督」は僕の高校時代を知っているんだもの。お互い、素直に生きられずもがき苦しみ、はっきりいって「単純に仲がいい」とは言えない「青春」の時間を垣間見てしまったのだから。

僕は報道部の活動によって明確になったジャーナリストへの夢が、報道部の活動によって挫折しヤケになった。「監督」は自身の抱える苦悩を理解してくれる「居場所」を探していた。僕だってある程度理解はしていたが、報道部が「監督」にとっての「居場所」になれていたかといえば自信はない。

一見華やかな活動の裏で葛藤を続けていた。そんな2人がフィールドは異なれど表現に携わっているのは因縁なのだろうか。

取材の後、「監督」は僕を飲みの席に誘ってくれた。楽しい話が続いた。さすがに他の映画スタッフの方もいたから高校時代の思い出話はほどほどに控えていた。今度飲むときは、もう少し自分たちの変化を語り合ってみたい。