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また夢ンなるといけねえ

しがない男子大学生。新聞サークルの記者をしている。堺、六甲、西中島南方が生活の拠点。

後輩が突如消えた

 最近、サークルの主力部員になりつつあった後輩の女子部員が突如、音信不通になった。部内のLINEグループから退会しているのに気付き、誤操作かと思って個人チャットを開こうと思ったらアカウントが消えていた。

 我がサークルは9大学の新聞部の連合体という形を取っているが、大学の垣根を越えた活動も多い(下手すればこちらの方が多い)。後輩とは大学も違うし特別仲が良かったわけではなかったが、僕が校閲を担当していることもあり紙面製作で仕事を共にすることは多かった。

 部員が突然サークルから姿を消すのは少なからずショックだ。プライベートで悩み事があるみたいな噂は聞こえては来ていたが、僕がわざわざそのバックアップをするような関係にあったわけでもなく、20歳前後の悩み多かりし青春期だし今回もそんなもんだろうと高を括っていた部分はある。まさかこんな別れに発展するとは思っていなかった。

 僕はこれまで一度所属した部やサークルから中途退部したことがない。退部しようと真剣に考えたことはいくらでもあるが、結局引退の時期まで在籍して仕事もこなす。今いる新聞部だって、辞めたいと思うことなんて日常茶飯事だ。

 だけど辞めない理由は多分、部員がみんな良いやつだからだと思う。これは僕の幸運で、これまで所属した部・サークルでは人間関係にはかなり恵まれた。大喧嘩したり長期間にわたり距離を置いたりする人間もいたが、でもその相手も基本は良いやつだと分かっていた。振り上げた拳の下ろし方が分からなくて、まごついたというのが本当のところで、基本は良いやつに囲まれて活動できた。人間関係に(良い意味で)ほだされた。

 彼女がサークル活動を苦にしていたようには僕には見えなかったが、それは本人にしか分からない。ただもし彼女がプライベートを理由に、心のキャパオーバーを起こして閉じこもろうとしたのだったら、その例外としてサークルの人間を頼りにすることができなかった、僕らが頼りにされなかったという淋しさが残る。

 サークルにも友達は居たはずだが、そこまでの友達じゃなかったのだろうか。僕も苦しみを他人と共有するのが苦手だから、友達を頼れない気持ちは分かる。だけどそこで勇気を持って、他人を頼ることがすべての解決の端緒になる。そして僕らは彼女にとって、端緒になれなかった。

 僕らは復帰を心待ちにしている。突然消えたことをうらんだりはしない。する理由がない。ただ残念だ。

新着メールが待ち遠しかった時代

 先日、ツイッターのフォロワーが「メールの問い合わせ」について触れていて懐かしさを覚えた。

 つまり携帯電話のメールアプリは定期的に新着メールがサーバーにあるかどうかを確認し、ある場合はその旨を通知をするわけだが、その定期的な更新作業とは別にユーザーがその都度「メールの問い合わせ」を実行させることができる。

 更新間隔が1分だとしても、1分すら待つのが惜しい返信がある。その差出人は恋の相手だ。

 冒頭「懐かしい」と言った。今や携帯電話で連絡を取るのに使うアプリは、メールではなくLINEが主流になってしまった。現に僕のメールアプリの受信箱には、ポイントカードを登録している書店のお知らせメールと、サークルの業務連絡に使われる一斉送信のメールしかない。

 僕が高校生だった頃はまだフィーチャーフォンユーザーもたくさんいたから、メール連絡が中心だった。そして例に漏れず僕も、相手からの返信が待ち遠しくて、繰り返し新着メールを問い合わせた。

 メールというのは瞬時に届きはするが、即応のメディアではない。必ずタイムラグがある。それが恋のドキドキを掻き立てた。

 メールアドレスを手に入れるのにも苦労した。今なら学級ごとにLINEグループがまず作られるだろうから、連絡先を手に入れること自体は楽だろう。

 それがメール時代ならまず、赤外線通信をすることから始めなければならない。たまに文化祭の打ち上げの連絡で、ネットリテラシーを欠いた幹事が、全員分のアドレスをBccではなくToに入れるものだから、大体の類推で気になるあの子のアドレスが分かるなんてこともあった。

 そういえばあの頃は「メールでの告白はアリかナシか」みたいな話を真剣にやっていた記憶がある。大事なのはそんなことじゃないんだが、そうだと学ぶにはもう少し時間がかかる。モテない人間の頭でっかちな議論だったが、今となっては微笑ましい。

 部活動単位でBBSを開設することもあった。僕の部活動では作らなかったので僕自身は書き込んだことはなかったが、意中の相手や友達の書き込みをこっそり拝見することはあった。公開されているものなのだから、別にこっそりもクソもないのだけれど。

 恋というものから離れて時間が経つので、LINEのような今の利器がどう恋に使われているのかは知らない。テクノロジーの流行り廃りは速い。

 今まさにLINEで愛をやり取りしている君たちもそのうち「過去の思い出」扱いされるから覚悟しておこうな。

川は悪臭を放った

 午後10時にアルバイトを終えて、大阪の土佐堀川沿いを歩いた。普段は盛り土の上に敷かれた道路から、夜の川を見下げるだけだが、気が向いて階段を降りて流れの間際まで近寄ってみた。親水護岸は青白い明かりに照らされ、東側には脚がオレンジにライトアップされた橋がある。

 川に近付くと微かな悪臭があった。鼻をつまむほどではないけれど、不快感、いやそこまでもいかない違和感を覚えた。東へ歩くと次第に臭いが口の中で滞留するような感じがして、気分が悪くなった。僕は階段を上がって、いつもの帰り道に戻った。

 

 川に近付く気になったのは、前の日に神戸で海を見たからだった。サークルの仕事でハーバーランドを訪ねた。午後7時半からの会議だったが、4時ごろには到着。暇潰しでサークルの研修に使う資料を作ろうと、公衆無線LANの使える場所を探し歩いていたところ、ばったり高校の同期の男と遭遇した。彼は現役で大学に入ったから、僕より一つ学年が上で、就職活動の最中。姫路からの帰路、割引切符の都合で神戸駅で下車可能だから、海を見ようと来たらしい。

 ポートタワーを向こうに、穏やかな海を見た。岸壁のへりには車止めのようなものが設置されていて、そこに無数の落書きがある。これが面白かった。カップルがよく書く「相合傘」で、彼氏は実名なのに彼女はイニシャルしか書いていない傘がたくさんあった。三代目JSoulBrothersのメンバーのファンによるものと見られるものがたくさん並んでいた。南側には男性の股間を描いた「力作」もあった。

 穏やかな春の海は気持ち良かった。その同期とは仲が良かった。成人式以来の再会ではあったが、普段ツイッターはフォローし合っているので久しぶりな感じもなかった。

 互いの近況や共通の友人、知人の近況を喋り合った。でも僕にはサークルの愚痴しか手持ちの弾がなかった。彼は、学生らしく浮いた話もネタとして持っていた。変わった人間なので、単純なものではないけど。

 僕自身や周りに浮いた話がなくなってから、年単位の時間が経っていた。僕自身にないのはまあそうだとしても、周りにすらない、というのは、この年齢では異常だと思う。

 サークルにかまけている間に、そんなことになってるのか、と気付いてしまった。悲しくなった。

 人間は社会的動物だから、属するコミュニティーに左右される。なのにそのコミュニティーが、ずっと自分を守ってくれるとは保証してくれない。今のサークルだってあと数カ月しかいられない。サークル外で大学に居場所を得ていないから、サークルを抜ければ、広い社会という外袋に放り出されるのも同然。その常識に付いていけるのか。サークルのぬるま湯しか知らないのに。

 時間になり彼と別れて、会議に出たが、焦りが頭の中を占めて落ち着かなかった。

 夢物語を夢で終わらせないようにするには、僕自身の努力が必要だ。環境を変える、そのために自分をリフォームする。しなやかに身をこなす。依存先を増やし、多くの選択肢を持って、可能性を広げる。

 んなことできたら、大学に友達もいるだろ。

 

 土佐堀川に近付こうという気になったのは、前日の神戸の海の気持ち良さを思い出したからだった。でも過去は過去。丸腰で夢に近付こうとしたところで、帰ってくるのは悪臭でしかなかった。

 

「新着」を調べた

21日の日本テレビ番組「NEWS ZERO」で見出しに「新着」という表現があった。速報の意味なのだろうと推察。そこで、ふと「新着」という言葉が使われ始めたのはいつなんだろうと思った。メールが普及する前に「新着」という言葉はあったのだろうか。

気になったらすぐ調べようということで、新聞記事データベースで検索をかけてみた。

まず朝日新聞「聞蔵」で「新着」と調べてみたら、最古のヒットは1882(明治15)年12月6日の大阪朝日新聞朝刊社告。

先般新着の大器械を用い一昨夜より新聞刷立試み候處何分にも運転不慣の故を以て刷上り以外に手間取り昨朝の配達少々致延引候段看客諸君に對し甚だ御氣の毒に奉存候

要するに「新しい機械を使って印刷したら手間取って配達が遅くなってしまったのでごめんなさい」という内容です。他にも明治期は「新着時計」「冬物新着」のように、新しく届いた商品を売り出す広告でのヒットが大半です。

報道記事としてのヒットは1900(明治33)年9月20日の東京朝日新聞1面。上海特派員電の記事で見出しは「新着英国兵の部署」。上海から北部へ向かうインド兵がどこに上陸するかを書いた記事でした。その他「動物園新着の獅子と虎」の記事も。明治末期からは丸善が新刊本を紹介する広告が掲載され、その題が「丸善新着週報」となっています。

昭和に入ると「お年玉に新着米映画」などの見出しが見られますが、ヒット件数が大幅減。戦後の昭和期を通しても9件しかヒットしませんし、「新着陸方式」「新着工」などたまたまヒットしてしまった語を抜くと、たった4件。昭和最後の「新着」は1965(昭和40)年7月20日の東京版朝刊「新着の米歩兵と交戦 ビエンホア米空軍基地周辺 ベトコンが襲撃」というベトナム戦争関連の記事でした。

平成では1件のみ。1994(平成6)年10月28日の東京版朝刊「中国文化の日 5回目記念 多彩な行事 1日から日中友好会館 一流奏者の民族楽器演奏/平山氏ら講演/新着ビデオ上映」でした。

意外にも新聞ではメールや電話の「新着」は使われたことがないようです。もう少しこの言葉の使用例を探っていくべきかもしれません。

肩書につかまる

 僕が身を置くサークルは、3年生の1月上旬が引退期なのだが、その2週間後くらいに「新年会」と称して引退生を労う飲み会が行われる。

 このとき、引退生の寄稿をまとめた小冊子が配られる。内容は、3年間の自身の活動を振り返ったものや、後輩へのメッセージなど。

 はっきり言って自己満足の文章ばかりで、部に残る側からすれば読んでも何ら面白くはない。こうして駄文を書き連ねる人間が言えたことではないのだろうが、まあそれでもつまらないものはつまらないのだ。

 とは言いながらも内容は気になるから、一応目を通した。ある先輩は後輩一人ずつに短いメッセージを寄せていた。僕にはというと、辛そうに見えるときがあるのでもっと肩の力を抜いてもいいのでは、とおおよそそんなことが書いてあった。

 じゃかあしいわい、と心の中で生意気言いながら、図星だなあとも思う。

 そんなことを考えていたらある記事が目にとまった。

https://www.buzzfeed.com/satoruishido/otoko-mondai?utm_term=.ciD2NRNBp#.kmkB0l0oe

 「男はつらいよ」ではなく「男がつらいよ」。なるほどうまいなあと感心した。

 役割意識というのがあって、この記事で言えば「男」というラベルがそれに当たる。確かにこのラベルは厄介で、「男なんだから」が頑張るきっかけになったこともあるし、でもやっぱり頑張ってもうまくいかないことのほうが多いからしんどい。でもラベルがなくなったら、自分はどうやって「頑張ろう」という気になるのか分からない。そういう人間の一人として僕も在る。

 僕は肩書とか役割がないと頑張ろうと思えない人間なのかなと感じることが多い。「肩書にとらわれずに」とか言われても、肩書がなくなれば多分何もしない。だから自分で勝手に何か名乗ってみたりする。形から入る、ってやつだ。

 昨年1年間はローカル面編集長、今年は編集部門長の肩書があるから助かっているという意識がすごくある。

 ただ周りには肩書の副作用が目立って見えるらしい。確かにしんどい面はあるし、ローカル面編集長をもう1年やれと言われたら勘弁願う。

 柔軟性のない人間だなあと自分の弱さを実感しつつ、だからどうすればいいのかも分からず。しばらくは肩書にしがみつくのだろうか。

都会とは

 クリスタルキングの「大都会」で歌われる大都会は博多のことらしい。シュガー・ベイブの「DOWN TOWN」で歌われるダウンタウンは道頓堀のことらしい。

 名曲の都会像が東京をモチーフにしていないと知って勝手にがっかりするのは、リスナーのエゴなのかもしれない。むしろ東京に置き換えても成立する普遍的な歌詞世界として評価すべきかもしれない。

 でもなぜか、受け入れたくない自分がいる。

 「DOWN TOWN」を聞いて新宿とか、池袋とか、原宿の竹下通りの街とかをイメージした。おっしゃれな街に繰り出す若者の瑞々しい風景。そこにグリコの看板があっては台無しなのだ……。

 大阪生まれ大阪育ちの僕が東京に憧れるきっかけになった曲が、大阪の風景を歌っていたこの入れ子構造。まるでフラクタル。闇に飲み込まれそうだ。

先輩の言葉に興醒めした僕

 所属する新聞サークルもついに代替わりの時期が来た。1月号の紙面製作を終えると同時に、3年生が引退した。僕ら2年生が最高学年になる。

 これまでにないほど進捗が進まず、てんやわんやになりながら、なんとか紙面校正が終わり出稿を終えた。僕は校正の責任者を引き継ぐことになっていたので、その研修ということで現職と同様、共通紙面と各大学ローカル面の合わせて約20面をチェック。15時間ほぼノンストップで紙面とにらめっこし続けた。

 自分の仕事が終わったのが土曜の午前11時。しばらく他の作業も手伝っていたが、不意に眠気がひどくなり、狭い編集室でうたた寝をした。

 起きると午後3時半。すでに出稿作業も終わり、先輩たちは引退記念に宅配の寿司をとっていた。ああ、お別れなんだなあ、と働かない頭でぼんやり見ていた。

 するとほろ酔いの男の先輩が近寄ってきて、握手してきた。「いや、ほんとお前すげえよ。ずっと紙面見てたもんなあ。助かった」。しばらく先輩が僕に喋り続けてきた。周りは多少笑いながらも、微笑ましく見てきた。

 当の僕は、これは嫌だなあと思っていた。

 去る者は別れ際に言葉を残したがるものだとは分かっているし、僕もどちらかと言えばロマンチストだから同じようなことをしてきたと思う。

 だけど、残される身からすれば、もはや自由の身の去る側が残す言葉など、基本的に無責任で、陶酔的で、有難くもなんともない。そりゃあんたは気持ちよく終わったかもしれんが、こっちはまだ続くんだ。そういう気分になって、興醒めだった。

 不孝者だなあと思ったから、流石に思いを口にはせず、せめてもの抵抗として話を聞く間、先輩の顔は一切見なかった。

 結局そのまま飲みにいくことになって、その先輩は泣いたり寝たり。結局、ほとんど言葉を交わさずにお開きとなり、さよならしてしまった。「やっぱり、顔を見て話聞くべきだったかな」と一瞬思ったものの、人間の別れなんて、ドラマチックになんかならないもんだ、と思い直した。

***

 先輩の引退は、大きな損失です。ありがとうございました、なんて言えません。何、勝手に辞めてんだバカヤロー。謝辞を述べるのは、僕が後輩に、損失の埋め合わせとして何か残せてからです。それまで、とりあえずさようなら。