また夢ンなるといけねえ

しがない男子大学生。新聞サークルの記者をしている。堺、六甲、西中島南方が生活の拠点。

涙について(1)

 「泣いてる選手にコメント取りに行かなあかんのかな……」

 キャップがつぶやいた。朝から続いた雨はいよいよ本降りになり、試合は七回終了後に中断。キャップと僕は球場三塁側のカメラマン席で、ツイート速報の文を打ち込みながら待機していた。多分雨はやまない。コールドになるだろう。学生野球のリーグ戦。出場する両大学にとってシーズン最後の試合で、すなわち4年にとっては引退試合だ。

 キャップはもう感極まりそうになっていた。プロ、高校、学生、社会人問わず野球を愛する根っからのファンである彼女は、昨年、2年生で入部して以来我が新聞部の野球取材をリードしてきた功労者だ。

 30分ほど経ち、審判団がフィールドに上がってきた。土の状況を確認しているようだ。三塁の向こう側にはもう水たまりができている。南無三だった。

 両チームの選手に集合がかかり整列。「4年生最後の試合ではありますが……」と前置きをして球審コールドゲームを宣言した。

 三塁側には3年ぶりの勝ち点を獲得することが叶わなかった敗者チームが1列に並び、客席へ「ありがとうございました!」と叫ぶ。と同時に一部の選手らが号泣し始めた。僕はとっさに片付けかけていたカメラをつかみ、シャッターを切った。

 コメントを取りにロッカールーム前へ向かう途中、キャップに言った。「泣いてる顔撮っちゃったよ」「私は撮らんかった」「だよな。僕は割り切ってるけど」。写真、多分使われないな、と思った。使わなくていい。でも撮っておかねばと思った。応援要員でしかない僕には、彼ら選手への思い入れはないのだから。

 両チームの監督のコメント取りが終わり、敗者チームの主将に話を聞くべく、控え室の前で立ち、待機していた。多分引退セレモニーみたいなことをやるだろうから、ミーティングルームから選手らが戻ってくるのは時間がかかりそうだとは思っていた。

 「じゃあ泣きはらした後に取材せなあかんのかな……」

 キャップの言葉に、かもな、と答えた。「泣いてる人に取材するのはつらいよな」「そういう経験あるの?」「あるよ。2回かな。どっちも感動の涙だったけどね」

 選手らはなかなか帰ってこなかった。不安になった僕らはミーティングルームがある上階の様子をうかがうことにした。上階には公式スコアがもらえる記者室があって、その入り口の手前側にエントランスがあり、この方向から楽しげな声が聞こえたのでのぞくと、敗者チームの選手やその家族らが集まってレクリエーションめいたことをしていた。

 引退だもんな、と眺めていたら、横でキャップが「はっ」と、もはや声にもならない息の音を漏らした。顔、体全体が硬直して何かに取り憑かれたようだった。「どうしたの」「あれって、もしかして」。よく目を凝らしてみるとそのチーム出身のプロ野球選手が立っていた。母校の試合を見に来ていたということか。

 「彼のおかげで今季の取材頑張れたんだから」。彼女はその選手のファンだった。人数不足と厳しいスケジュールをなんとか調整して取材を続けるのは本当にしんどいと思う。好きで片付くようなレベルの苦労ではないのは傍から見ても分かる。そんな彼女へのご褒美ということなんじゃなかろうかと僕は思った。

 「行ってきてええかな」「どうぞどうぞ。僕は原稿書いとくから」。それでもなかなか決心がつかないようで、選手が帰ろうとしたところでようやく駆けていった。僕はスコアとにらめっこしながら原稿を書いていた。

 戻ってきた彼女は、嗚咽を漏らしていた。選手じゃなくてあんたが泣いてるじゃん、と心の中でツッコみながら、素敵なものを見たなという思いをした。

2017.10.20 05:24 一部修正。

カズオ・イシグロ氏ノーベル文学賞、各紙読み比べ

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2017年10月6日付の各紙朝刊

 今年のノーベル文学賞カズオ・イシグロ氏に授与される。日本時間の5日夜に飛び込んだ速報で、号外を出した新聞社もあった。今回は6日付の各紙朝刊を読み比べる。今回は通学先の大学図書館で閲覧できた朝日(大阪発行14版)、毎日(同13版)、読売(同13S版)、産経(同14版)、日経(同★14版)、神戸(14版)です。

1面トップ見出し
▽朝日
カズオ・イシグロ文学賞 ノーベル賞、長崎出身・英作家 「日の名残り」「わたしを離さないで」

▽毎日
カズオ・イシグロさん文学賞 ノーベル賞日の名残り」 日系英国人、「不確かな世界」描写

▽読売
カズオ・イシグロ文学賞 ノーベル賞 長崎出身、英作家「日の名残り

▽産経
カズオ・イシグロノーベル賞 文学賞 日本出身の英作家 「日の名残り」「わたしを離さないで」

▽日経(準トップ、紙面中央)
カズオ・イシグロノーベル賞 文学賞、日本出身の英国人

▽神戸
カズオ・イシグロノーベル賞 文学賞、長崎出身の英作家 「偉大な感性持つ小説」

 2015年にノーベル物理学賞を受賞した故南部陽一郎氏は1970年に米国籍へ帰化したが、たいていの報道では日本人のノーベル賞受賞者数を書くとき「南部さんを含め日本人○人」などと言うことが多い。「日本人」という概念はほんとうに「都合がいい」ものなんだなと思う。

 今回のイシグロ氏は長崎県生まれで、5歳の時に父の転勤に伴いイギリスに移り住み83年に英国籍を取得しているが、各紙はどう扱ったか。1面本記から抜き出してみる。

 朝日「長崎出身の英国の小説家、カズオ・イシグロさん」
 毎日「長崎県出身の日系英国人で作家のカズオ・イシグロさん」
 読売「日本生まれで英国籍の作家、カズオ・イシグロ(石黒一雄)さん」
 産経「長崎市生まれでロンドン在住の日系英国人作家、カズオ・イシグロ(石黒一雄)氏」
 日経「日本生まれの英国人作家、カズオ・イシグロ氏」
 神戸「長崎市生まれの英国人小説家カズオ・イシグロ氏」(共同電)

 まず読売と日経が「日本生まれ」と国単位で記述した。毎日・産経も「日系」と書いている。一方朝日はリード中に「日本」「日系」が登場しないどころか、日本人の両親の下に生まれたという内容すらない。
 日本名をリードに盛り込んだのが読売と産経。他はリードからは外したが、毎日は記事中に一度も登場しない。
 神戸の共同電はリードに「日本出身の作家としては1968年の川端康成、94年の大江健三郎氏に次ぎ3人目、23年ぶりの受賞となる」と書いた。産経もリードに「日本出身の作家としては川端康成大江健三郎氏に次ぎ3人目」。同様の記述は他紙には関連記事含めなかった。

 紙面展開で群を抜いたのは読売。なんと文化面に識者座談会を載せた。識者コメントは各紙載せているが、座談会をこのスピードで掲載するのはすごい。登場するのはスラブ文学者・沼野充義、イシグロ作品に解説を寄せている作家・小野正嗣、日本文学研究者・坂井セシルの3氏だ。沼野は「英語で流通する世界文学の最前線の作家」と評している。

 1面コラムで取り上げたのは日経「春秋」のみだった。多様なルーツが混ざり合う文化交流を通して、排外主義はびこる世界での「寛容」の大切さを訴える内容となった。

追記情報

2017.10.6 13:18 大学内の別の図書館で産経新聞を閲覧できたので、産経の内容を追加し、文章を一部再構成しました。

新聞レイアウト考(2)見開きの考え方

追記(2017年9月27日)
 所属する新聞部の紙面はタブロイド判です。ブランケット判では考え方が若干異なる可能性もあります。ご容赦ください。

 新聞部で部員教育を担当しているので、紙面の作り方について解説を求められることが多く、その資料を作ろうとしている。本稿はその下敷きにするための備忘録である。

 前回は以下のリンクへ。
charlieinthefog.hatenadiary.com

 前回「右上から左下へ」の視線の流れ、X型レイアウト、5力点のバリュー順位について書いた。中面だとこれに、見開き2面を1セットとして見たときのレイアウトも考慮する必要が出てくる。今回はその解説だ。

本題の前に特集面について

 その前に触れておかねばならないのが、特集面についてだ。政治、経済、国際、社会など主に前日に起きたばかりの生ニュースを扱うことが多い面を便宜的に「ニュース面」と呼ぶことにする。一面もニュース面に含まれる。一方、ある話題を掘り下げて伝えることがメインとなる生活面、教育面、文化面などは、ニュース面とは違う組み方をする。これらの面を、これも便宜的に「特集面」と呼ぶことにしよう。

 特集面はたくさんの生ニュースを詰め込むのではなく、一つの記事の分量を多くし、じっくり読んでもらうのが主眼。だから生ニュースのように段ケイ(段間の罫線)を引かないし、各記事は、凹凸に入り組ませるのではなく長方形に組んでいることが多い。記事と記事の間にはかなりの余白もとってある。

 これから説明する見開きでの考え方は、両面ともニュース面という前提とする。片方が特集面だったり全面広告だったりする場合は、片面しかない場合と同様の組み方をすればいい。

左面の右上が最重要記事

 見開きにした2面の中で、どこに最重要記事を配置すべきか。答えは左面の右上だ。右利きの人が紙面をめくると、視線は自然と右面より左面に行くことが多いからだ。

 では2番手は? トップの近くにある記事が目に入りやすいから、候補は左面の左上と右面の左上になる。右面の記事にも目を通してほしいということを考えると2番手は右面の左上に置くのが順当だろう。

 整理するとニュース面が二つ並ぶ見開きでは、左面の右上>右面の左上>左面の左上>右面の右上、の順に高バリューの記事を配置していくのが良いだろう。

 すると困ったことが起きる。右面では、前回述べた5力点のバリュー順と齟齬が生じるのだ。つまり、右上と左上の優劣が逆になってしまう。「じゃあ左右対称にして左上から右下への流れを作ればいいのか」というとそうではない。なぜなら、そもそも右上から左下への流れは日本語の縦書きの文章のルールに沿ったものだったからだ。右上と左上のバリューが逆転したからと言って、この流れを変えることはできない。

「右上から左下へ」を3本

 解決策の一つは「右上から左下へ」の流れを見開きで3本作るということだ。左面、右面それぞれで流れを作るだけでなく、右面左上を起点に、面をまたいで左面右下へも流れを作るということだ。

 流れは標識によって作られるのであった。すなわち見出し、写真、図表である。この流れを見開きに3本つくるということになる。そしてやはり「押さえ」は見開きにも必要なので、左面左上、右面右下にも力点を置くのがよい。

 もし小さな記事を多数入れ込むような場合も、基本的には「右上から左下へ」の平行線を増やして流せばよい。

重心はやや左/右端を押さえて

 さて見開きでのバリュー順が左面の右上>右面の左上>左面の左上>右面の右上となることから、見開きの重心はやや左側に寄る。これが寄りすぎてしまうと紙面のバランスが悪くなる。そこで右面の右端には縦長の区画を設けて、横書きで短信記事を並べたり、連載記事を置いたりすることがある。

 繰り返しになるが、紙面は読みやすさを確保するため「右上から左下」の視線の流れを作りつつ、死角の位置の記事も読んでもらうためにタタんだりカコんだり見出しや写真を置いたりする。見開きでは重心が左によるため、右端にも力点を置き押さえてあげる必要があるのだ。

タタミ線で縦割りを

 少し話はずれるが、紙面のバランスについてもう一つ「縦割りの意識」について触れて今回の記事を締めくくりたい。

 片面のレイアウトにおいて左上をタタむと、トップと準トップの間に縦の太線や強調線を引くことになる。このタタミ線によって紙面は左右に分割されるが、左1:右2くらいの比率になるとバランスが良くなる。逆にタタミ線が紙面中央に来ると、メリハリがつかず紙面がまとまりにくい。右側、つまりトップをタタんで、左2:右1にすることもあるがこれは上級編だ。

 中面だと見開きが1:2:1の比率で縦に割れるとバランスが良い。このとき、片面だとタタミ線が下段まで貫くと、割りすぎてバランスが悪くなってしまうので貫かないようにするのが標準的だが、中面では見開きにすると紙面が横長になるし下方を広告が占めることも多いので、記事スペースは縦に貫いてしまうこともよくある。

新聞レイアウト考(1)視線の流れ

 新聞部で部員教育を担当しているので、紙面の作り方について解説を求められることが多く、その資料を作ろうとしている。本稿はその下敷きにするための備忘録である。

新聞のレイアウトの独特さ

 新聞は数多くの情報を限られたスペースに詰め込む必要がある。しかも全ての話題を均等に伝えるのではなく、ニュースバリュー(情報の価値)に応じて割くスペースの大きさを変える。例えば、オリンピックで日本人選手が金メダルを獲得したニュースと、少年野球の県大会でどこそこの中学が優勝したというニュースが同じ日にあった場合、二つのニュースを同じ文字数で書くわけにはいかないのだ。

 ニュースバリューに応じて各記事の情報量を変えながら、かつできるだけたくさんの情報を盛り込もうとすれば、各記事の形を凹凸にして、パズルのように入り組ませていくしかないというわけだ。*1

 しかしただ凹凸に組んだのでは読みにくい。そこで読者が読み進めやすいように「視線の流れ」を作ってあげる必要がある。

視線の流れの作り方

 縦書きの文章は上から下に字を連ね、右から左へ行を送る。ゆえに大まかな視線の流れは「右上から左下へ」だ。その証拠に、よく全体をつかむために本を飛ばし飛ばし読むことを「斜め読み」と言うが、斜め読みをするとき無意識的に視線は今述べた方向に流れていると思う。つまり作るべき視線の流れは「右上から左下へ」である。

 ではその流れはどうやって作ればいいのか。キーワードは「障害物」「標識」の二つだ。

 まず流れは障害物を避けるように進んでいく。右上から左下へ流したいのだから、障害物を置く場所は面の「左上」と「右下」だ。ここに長方形の記事を置くのが良い。一般的には左上に「タタミ」、右下に「カコミ」を置くことが多い。タタミは記事の左か右を縦の太線や装飾線で強調したもの。カコミは上下左右を線で囲んだ(場合によっては3辺や2辺だけのこともある)記事。いずれも「右上から左下へ」のメインストリームから独立する部分となり、ここが障害物としての役割を持つ。

 次に「標識」。これは比喩である。人間は一定の秩序の中に存在する異物や目立つものにまず視線が行くようになっている。新聞で言えばひたすら本文が並んでいる中で、写真や図表、見出しが目立ち、視線の「標識」としての役割を果たす。ならばこの標識を「右上から左下へ」の流れに沿って配置すれば、視線の流れが生まれる。

 こうした新聞レイアウトの定石を「押さえて流す」という。障害物によって流れの「外」を「押さえ」、標識を主流に「流す」わけだ。流れを作りながらも、流れの死角に障害物を置いて存在感を持たせることで面全体に目を通してもらえるようになる。

力点は四隅と中央

 今の定石を別の側面から見てみよう。障害物が左上と右下にあり、流れに沿って標識が右上から左下へ流れる。すると視線が集まるポイントは面の四隅と中央に位置することになる。これらは2本の対角線で結ばれることから「X型」のレイアウトと言われる。

 ではこの五つの力点をニュースバリューの高低に対応させるとどうなるか。

 まず流れの始点に相当する右上は文句なしに1位だ。

 次点は障害物としての存在感を示す左上か、流れに沿って中央かの2択になる。新聞が上下二つ折りにされることを考えると左上の方がより目にしやすいし、流れから外れるところにも目を通してほしいから、準トップは左上に来ることが多い。というわけで3番手は中央。

 あとは流れから外れる右下を4番手にし、どうしたって流れに沿って目を通してくれやすい左下には低バリューの記事を置く、というのが標準的なバリューの順位だ。

ハラを固めろ

 さてレイアウトを考える上で、五つの力点のうち最も意識すべき点を挙げるとすれば「中央」だ。「ハラを固めろ」という言葉すらあるくらいだ。新聞を人間の体に例えると、右上を「アタマ」、左上を「カタ」、中央を「ハラ」とか「ヘソ」とか言う。

 「ハラ」の位置に標識がないと、四隅に力点が分散されてしまい、紙面にまとまりが生まれない。中央に写真や見出しを置くのがポイントだ。場合によってはカコミ記事を中央に置くこともある。

メリハリが大事

 これは新聞に限らないが、目立たせたい部分が目立つためには、他の部分が地味でなければならない。あまり多くの種類のフォントや装飾線を使ったりすると、目立つものが多すぎてどれも標識として機能しなくなる。使うフォントの数や装飾のパターンは限定しよう。

 また「区別したつもりが区別になっていない」ということもよくある。

 例えば等間隔で並ぶ10行の文章があり、5行目と6行目の間に縦の線を引いて5行ずつ分けたとする。これを目の悪い人が眺めたとすると、文字はぼやけて黒いかたまりのようにしか見えない。縦の線もぼやけるため、5、6行目は線と一緒にぼやけて一つのかたまりのように見えてしまう。切り分けたつもりが一緒にくっついてしまうわけだから本末転倒だ。

 切り分けるためには5行目と線、6行目と線、それぞれの間にも一定の余白がなければならない。そもそも線などなくても、他の行間よりも広く余白を取っていればそれで区別できる。

 見出しについても同じことが言える。本文と見出しが近すぎると見出しが窮屈に見える。見出しを見出しとして目立たせるためには、周りに余白をとる必要がある。


続きは以下リンクへ。
charlieinthefog.hatenadiary.com

*1:実を言うとこの解説はかなり乱暴である。本当は差し替えのしやすさとか、活字を拾って紙面を作っていた時代の技術的な要請とか、他にもいろいろ理屈はある。ただ、とりあえず今回記した理屈が最も単純で理解しやすい。

松本人志と太田光

日野皓正事件への太田の批判

 世界的なトランペット奏者の日野皓正氏が、東京都世田谷区教育委員会の体験事業として区内の中学生で結成された「ドリームジャズバンド」のコンサート中に、ドラムソロを叩き続けた男子生徒を制止し舞台上で往復ビンタしたのではないかという事件。

 9月3日のTBSテレビ「サンデー・ジャポン」で太田光が日野を批判した。「大した音楽家じゃない」という発言がニュースでは拡散された。これはこれで意味のある発言なのだが、映像でその部分を確認するとその後に思わずうなった発言があった。

 日野の行動に理解を示した杉村太蔵が「太田さんはやっぱり、愛のムチってのはありえないってお考えですか」と聞いたのに対して太田は「うん」と即答。以下のように続けた。

例えばね、我々がお笑いでお客を笑わす、笑わしたいと思ってるときに客をくすぐっちゃうようなもんなんですよ。それをやっちゃったら、それは自分のやってることの否定になっちゃうから。

 日野は大した音楽家じゃない、とはどういうことか。僕はこれは「体罰の是非」の問題ではないと思う。

 (僕はそうは思わないが)仮に体罰に教育的効果があったとしよう。そしてこのコンサートも教育的事業である。だから体罰に効果があると考える人たちは、教育的事業における体罰も容認されるべきだと考えるのだろうと思う。

 しかし日野に求められている役割の第一は「人格の教育」ではない。人格の教育を第一目的にするなら、日野じゃなくても普段の学校でいい。日野はあくまでもプロトランペッターとして、音楽のスペシャリストとしての役割を求められていると思う。日野の下で数学でもスポーツでもなく、ジャズをやることに意味がある。プロの高い音楽性に触れながら、練習を積み重ねたりスポットライトを浴びて演奏に結実させたりする過程の中で、あくまでも結果的に人格が育まれるわけである。

 ならば日野はあくまでも音楽家として、子どもらの前に立ちはだかるべきだった。そこで太田の発言が利いてくる。事業の目的が教育だからといって、日野が音楽家として求められる範囲を超えて、「教育」に振り切れる必然性がない。ましてや体罰である。「客をくすぐっちゃうようなもん」なのである。体罰や鉄拳こそジャズだ、というなら別だが、それはインターネット上でもジャズファンが否定している*1

ワイドナショーの構造的欠陥

 さて同時間帯ではフジテレビ「ワイドナショー」で松本人志が日野事件に対してコメントしている。

我々の世代はすげえ体罰を受けたけど、今の時代じゃありえへんってみんなよく言うじゃないですか。なぜ今の時代はありえないのか、明確な理由を誰も言ってくれないんですよ。なぜ今はだめで昔はよかったんですか。

 これは勘違いで、学校教育法の体罰禁止規定は1947年からあるし、戦前ですら体罰は禁止だったし*2、教師側に順法意識があったかどうかだけの話。

 この手の無知に基づくとんちんかんな発言が、ワイドナショーでの松本には多い。無知なのは人間だからやむを得ない部分もある。むしろ問題は番組の演出や構成にある。

 松本はかねて「裸の王様」的な発言や笑いをずっと続けてきた。詐欺師につかまれた「心のきれいな人にしか見えない」とする服を着て闊歩する王様に、大人が沈黙する中、子どもは「王様は裸だ」と言う寓話。松本は常に社会に対し「子ども」として、「建て前」をイジり続けてきた。ワイドナショーでもそうした発言が結構ある。

 しかし社会の「建て前」には、「裸の王様」ほど無価値ではないものも多い。体罰だって罰の効果に限界がある一方で、その弊害が大きい*3体罰禁止の「建て前」が子どもの健全な成長を助けているわけだ。

 また先の比喩であれば「子ども」による非難の対象は「王様」であるべきだ。今回で言えば明らかに「王様」は日野皓正であるのだが、松本は日野を少しでもイジってはいない。左派の人たちがよく言う「日本の芸人は権力風刺をしないからだめだ」的な言説に加担するつもりはないが、権力や権威に対する松本の姿勢はそういうものである。

 ダウンタウンの笑いは、松本の陰湿で屈折した、そして時に指摘の対象を誤る「裸の王様」「子ども」的笑いを、ある種の父性の象徴でもある浜田が容赦なくツッコむというスタイルだと僕は解釈している。しかしワイドナショーはそうではない。松本の「裸の王様」に全乗っかりしてしまっている。これでは松本自身が「王様」になったと言われても仕方ない。

太田の職人的価値観

 比較対象になることも多い太田と松本。僕はどちらが嫌いということはない。爆笑問題のラジオも中学~高校の頃は毎週聴いていた(今は毎週は聴けなくなったがそこそこの頻度で聴いている)。一方松本がNHKでやっていたコント番組も毎週録画までして見ていたし、往年の「システムキッチン」「荒城の月」なんかも最高だ。

 両者はそもそも「お笑い」に対する価値観が違うように思う。

 松本は自分の考える「お笑い」を作り上げることが第一目的であり、笑いの探究者である。ダウンタウンの活動は全て漫才である、とよく言われる。ダウンタウンは間違いなくそれまでの漫才の構造を解体したし、と同時にバラエティー番組だろうがコントだろうが、ドラマだろうが映画だろうが全て漫才のエッセンスを基本形にしてきた。先の松本と浜田の笑いにおける役割分担は、その一つである。

 ただ松本は客を選んできた。自分に着いてこい、という姿勢を取った。もちろんそのカリスマ的な振る舞いのおかげで、日本のお笑い史に多くの功績を残してきた事実がある。これは是非ではない。

 一方太田は事あるごとに「芸人は、客が笑わせてなんぼ」という趣旨の話をする。ラジオリスナーならご存知だろうが、昨年9月27日深夜のTBSラジオ「爆笑問題カーボーイ」で、感受性をテーマに約1時間にわたってオープニングトークが繰り広げられた。柳田国男、相模原障害者殺傷事件、高橋維新による「ENGEIグランドスラム」(フジテレビ)批判など話題をさまざま広げながらも、「感受性」や「コミュニケーション」とは何かを太田が熱く語った。

 この話の中で、今の古典落語のほとんどを作ったと言われる江戸末期の落語家三遊亭円朝のエピソードを紹介している。円朝は在るべき落語とは何かを追求し無駄なものをそいでいくのだが、客が誰も来なくなってしまう。ある時上方へ出稼ぎに行くと、あまりにもベタな笑いをやっていたを目にし円朝は、客を笑わせるという原点に戻る、という筋である。

 太田はとにかく客を笑わせたい。芸人に許されたルールの中で、客が笑わせられるかどうか。それだけが芸人に対する評価基準だと、そういう姿勢である。松本の「客を選んででも自分の笑いを追求する」姿勢とは反する。

 あえて言うならば、松本はアーティスト的であり、太田はアルチザン的である。それまでの世界を変えるような爆発的な力は太田にはないが、それでも「客を笑わせる」ことへのストイックさはすごい。先の日野に対する発言も、そういう職人的価値観から生まれたものではないかと僕は思うのだ。

カリスマは色あせる

 芸術家的、職人的どちらが優れているかという話がしたいわけではない。どちらも必要だし、どちらにも僕は楽しませてもらっている。

 ただ松本のカリスマ性は、色あせてきてしまったのかなあという残念さがある。ワイドナショーを引き受け、誰からもツッコまれず、ずれた「裸の王様」を繰り返す様に僕はカリスマ性を感じることはできない。それでも「ガキの使いやあらへんで」で(全盛期よりは衰えたとは言え)未だにヒット企画を出すことができ、「水曜日のダウンタウン」のような良番組を任されている。はっきり言えば「ワイドナショー」が足をひっぱっているようにしか思えないのだ。

 かつて「カーボーイ」で太田は、サンデー・ジャポンの番組コンセプトが「全員で時事ネタ漫才をやる」だったと明かしている*4。過剰と言ってもいい演出のVTRが明けてまず太田が、V中のサンジャポジャーナリストの振る舞いにツッコみ、出演陣ともやりあう姿は確かに漫才として完成されている。

 サンデー・ジャポンはある意味でダウンタウン的なのだ。それを爆笑問題にやられてしまい、当の本人は裏でくすぶっている現状。毎週日曜日の朝、松本に対するどこかモヤモヤした気分を持ちながら、サンジャポを見続けている。

*1:例えば下記の外部リンク。k-yahata.hatenablog.com

*2:blog.livedoor.jp

*3:news.yahoo.co.jp

*4:昨年3月29日深夜放送分での発言

沖縄旅行録=3日目(29日)、最終日(30日)

 サークルの旅行で8月27日から3泊4日の行程で沖縄を訪ねた。幹事が自由行動の時間を長めに取ってくれたこともあり参加者の中でも多少、訪問地は異なるが、僕は那覇市恩納村北谷町、名護市の4市町村を訪問した。僕の沖縄訪問は初めてである。

 今回は3日目と最終日の模様。

おはスタが飛んだ

 ホテルのロビーでうたた寝。目を覚ましたのは午前6時2分ごろである。テレビがJアラートの画面を映し出しているのに気付いた。北朝鮮がミサイルを発射したのだ。

 ヤバい!と思って慌てて対象地域を確認。近畿地方が含まれていないので、報道サークルとして速報対応する必要はないと確認。一息ついて部屋に戻ることにした。正確に言えば自分の部屋ではなく、前夜、あの辛気臭い話をしていた部屋である。自分の部屋は本当に寝たい人のために割り当てられているので、インターホンを鳴らすのが忍びなかった。

 運営局長がドアを開けてくれた。僕は「テレビつけろ、NHK!NHK!」と言った。運営局長はよく飲み込めていなかったようだった。「ミサイル、Jアラート出ちゃったよ。うちは関係ないけど」。その後はテレビを見ながらツイッターを開いてテレビファンのタイムラインを見ていた。テレビ東京けものフレンズを予定通り放送したのも確かに大ニュースだが、おはスタを飛ばしたのはもっと大ニュースだった。テレビファンにとってはね。まあ沖縄にテレ東系列局はないんだけど。

 結局2時間ほどの仮眠しか取っていないし、前夜の辛気臭い話に疲労困憊。午前中は北谷町美浜の「アメリカンビレッジ」でショッピングとランチだったが、隣接のイオンのフードコートでちんすこうをかじりながら、やっぱりうたた寝していた。

大声を出す

 アメリカンビレッジを発ったのは午後1時15分頃だったと思う。借り切ったバスは今夜の宿である那覇市内のホテルへ向かっていた。

 午後1時半すぎくらいだったろうか。ツイッターを開いてニュースチェックをしていると、とある大学関連のニュースを伝える大手各社の記事が目に入った。うちも出さねばならないレベルの速報記事だった。

 速報を感知したら大声を出す、というのは僕の記者生活の基本である。周りの部員にも知らせるためであり、今から速報を出すぞという奮起のためでもある。「社会班!速報や!」。社会班デスク(運営局長)と、社会文化部長、僕でどうするか対応を協議した。

 いつものパターンで行くことになった。すなわち僕が原稿を書き、デスクが裏を取り、社会文化部長がチェックして配信、というパターンである。僕は執筆スピードが速いし、デスクは原稿校閲、特に事実関係に関するチェックがきめ細やか。社会文化部長は紙面での扱いとの兼ね合いなども踏まえ、バリュー判断をして記者に指示を出してくれる。このパターンで何本も速報記事を出してきた。

 大学が公式ウェブサイトに掲載したPDFを基に原稿を書き、デスクに見せ、その間に社会文化部長と記事の方針を調整。デスクが裏取りのためのメールを出す準備をしてくれた。

 2時すぎホテルに到着。チェックイン後、僕とデスクは同部屋だったので引き続き校閲のやり取り。時間を見計らいデスクはメールを出した。僕がトイレに言っている間に部長も合流。引き続き原稿を調整していると、先方から返信があり裏が取れた。最終チェックをして午後4時前に配信できた。一苦労である。

久し振りに酔っ払った

 やれやれ、とひと仕事終えて僕と運営局長(社会班デスク)は、ゆいレールに乗った。テキトーな駅で降りて散策でもしようと1日目に決めていた。

 結局降りた駅は「市立病院前」駅。この直前にほぼ直角の急カーブがあるためだ。車窓を見ながら「おお〜」と詠嘆。降りて近くのコンビニで炭酸飲料「ドクターペッパー」通称「ドクペ」を買って飲みながら歩いた。このあたりは神戸のように勾配が急で、上り坂がきつかった。近くに公園があり子どもたちがはしゃいでいるのを見た。

 30〜40分くらい、やはり沖縄は町並みが違いますなあと雑談しながら散策して駅に戻り、夜の宴会場所の最寄り、美栄橋駅へ向かった。集合の6時15分まではまだ数十分あったので、近くのジュンク堂書店那覇店に寄った。入り口すぐそばに、地域紙「八重山日報」「八重山毎日新聞」「宮古新報」そしてなぜか「東京新聞」もあったので慌てて買った。人文社会関連の区域には沖縄関連書籍のコーナーがそこそこの広さであり、本土ではまず目にかけないような本に新鮮な思いをした。それでも社会書のメインは愛国関係で、うーんと思ったのも事実。

 いい時間になったので宴会場所の居酒屋へ。幹事の遅刻芸はここでも健在。6時25分くらいになってやっと現れた。

 みんな集合したので適当に掘りごたつ式の座敷に座ったら、僕のテーブルはほかが全て1〜2年の女子になってしまった。後輩諸君も気の毒だが僕は僕で気の毒なのである。

 後輩たちがいろいろ質問してきた。「このサークルのブラックさってなんですか」とか「先輩はなんでこのサークル入ったんですか」とか。どれも一言二言では話せない深い事情があるので、頑として答えなかった。まだ君らに話すのは早いよ。

 ビールのペースが速かった。すぐ顔が赤くなる質なので、慌てて眠くなる前のニュースチェック。なんとここでも速報が入ってしまった。慌ててパソコンを開き原稿執筆。あとは先程の繰り返しである。1日に2本も那覇から速報を出すと思わなかった。

 ある後輩が言った。「バスの中で速報書いてたじゃないですか。あれ見てすごいなあと思いました」。それはどういうこと、記者っぽいとかカッコイイとかそういうこと? と聞くと首を縦に振るので「こんなのなんにもかっこよくないよ」と返した。こういう速報作業がかっこいいと思ってるうちが華である。って1年にそんな暗い話する必要なかったなと、言った直後に反省した。

 速報を出してしばらく経つと、自然と席替えのような状態になり、僕のテーブルにも男子陣が何人か集まってきた。するとなんと恋愛論が始まってしまったのである。「重い」とは何か、とか、「長続きするにはどうすればいいか」とか、よくある話である。先ほどとは別の1年女子が聞いてきた。このサークルの男子はまずろくでもない。聞く相手間違ってるぞと思いつつ観戦。気がつけば僕も論議に加わっているので、酒とは恐ろしいものである。

 店から出ると頭が重く、歩みもふらついた。こんなに酔っ払ったの久し振りだなあと思いながら、モノレールに乗りホテルに帰った。

 2次会は話題もあまりなくそんなに盛り上がらなかった。前夜でお腹いっぱい、という感じだったのかもしれない。

さよなら沖縄

 翌朝、沖縄を発った。帰りの飛行機はそこまで揺れなかった。やはりほとんど寝ていた。

 大阪に着くと、意外とあっけなく終わっちゃうもんだなあと思った。昨日はさんざんな誕生日だったなあと思いながらスーツケースをひきずり編集室へ。旅行中休みにしていた当直作業を終わらせ、帰宅した。

 今のサークルは来年1月に引退の時期が来る。それまで旅行はないので、今回が最後となった。夜中に辛気臭い話をするのも、旅行中に速報がないか気にしながらスマホを触るのもこれでおしまい。あとは引退までひたすら活動に勤しむのみである。

沖縄旅行録=2日目(28日)

 サークルの旅行で8月27日から3泊4日の行程で沖縄を訪ねた。幹事が自由行動の時間を長めに取ってくれたこともあり参加者の中でも多少、訪問地は異なるが、僕は那覇市恩納村北谷町、名護市の4市町村を訪問した。僕の沖縄訪問は初めてである。

 今回は2日目の模様。

ろくじろくじろっくじー

 運営局長が午前5時55分にセットしていたアラームで目を覚ました。正直言って早すぎる起床である。テレビを付けたのだったか付けっぱなしだったのかよく覚えていないが、「NHKニュースおはよう日本」6時台オープニングをオンタイムで見た。恐怖の「ろくじろくじろっくじー」である。正直言って不快である。
 ローカルニュースの確認は放送ファンが旅行先で必ずやることと言っていいだろう。6時半前のLK管中ニュース*1、7時前の沖縄ローカルニュース、ハイライトは7時45分からの「おはよう沖縄」である。関西地域と違って各県ごとに放送し、51分からは管中で「おはよう九州沖縄」となる。特に新たな発見はなかったが、実際にこの目で見ることが大切だ。
 ホテルのバイキング朝食は1500円もするので、ファミリーマートへ。「朝すば」というカップ麺を購入。お湯を入れて10回かき混ぜるだけの簡単すぎる作り方を見て大丈夫なのかと思ったが、あっさり味でなかなかよかった。後で調べたら「すば」は方言で「そば」の意味らしい。新聞ファンとしてタイムスと新報も購入しておいた。
 荷物をまとめて午前9時15分に1階ロビーへ集合。ところが幹事代表の広告局長の部屋のメンバーがなかなか現れない。9時半ごろには借り切ったバスの運転手が到着。運営局長がLINEで電話をかけると「いま起きた」と代表。なんでも1人だけ起きたのでまだ集合時刻になっていないだろうと早合点。時計も見ずにシャワーを浴びてから、寝過ごしたことに気がついたらしい。10分くらい後に4人が登場。社会文化部長の髪ははねていた。
 ようやくバスに乗り北へ。恩納村内にある2泊目のホテルに荷物を置いた。

辺野古

 ここから夜までは自由行動。僕と運営局長は、せっかく沖縄に来たのだからと名護市辺野古キャンプ・シュワブへ向かうことに。社会文化部長と3年の女子部員は、せっかく沖縄に来たのだからと本部町沖縄美ら海水族館へ向かうことに。同じ「せっかく沖縄に」でもやることが全然違うが、バスは途中まで同じ便である。
 世富慶(よふけ)停留所で辺野古組は乗り換えた。ちなみに水族館組はそのまま名護バスターミナルまで行って乗り換えである。途中スコールのような激しい雨が降り、やはり本土とは気候が違うなあと実感。しばらくバスに乗っているとなぜか「次は名護バスターミナル」の案内。逆方向に乗ってしまっていた。あわててスマートフォン辺野古方面へのバスを検索すると、5分後くらいに便が出ることが判明。下車し乗り場に向かおうとすると水族館組と鉢合わせ。事の顛末を素早く説明し、改めて辺野古方面へのバスに乗った。
 途中の停留所に「第2ゲイト」というのがあった。キャンプ・シュワブの入り口のことである。僕らは「辺野古」で下りた。すぐ近くに「辺野古社交街」の看板。「アップルタウン」とも言うらしく、これは軍施政時代に街の発展に努力したアップル中佐の名に由来するらしい。説明書きの碑銘には、県民が米兵と友好的に付き合っていた旨書かれているが、ほんとうなんだろうか。
 ところで社交街は、ほんとうにここに人が集まるのかというくらいさびれていた。日中だから店がやっていないのは分かるが、塗装が剥げどう考えてももはや営業していない建物ばかりが居並んでいた。他に何か産業があるような気配もなく、ただただじりじりとした暑さにやかれるような街だった。海の方へ進んでいくと野球場が。七回までしか書けないスコアボードには「建立 友よ静かに瞑れ撮影記念」と白い墨文字。1985年に映画、89年にドラマ化された北方謙三の小説らしいが、どっちの撮影に使われたのかは分からなかった。

キャンプ・シュワブ

 辺野古停留所に戻り、国道329号沿いを東に歩くとキャンプ・シュワブ前の座り込みデモの現場がある。歩いてみて分かるがアップルタウンを抜けると国道329号沿いには、キャンプ・シュワブ辺野古ダム以外何もない。枝分かれする道もない。反基地で道を封鎖しようものなら、たぶん機動隊はすぐに排除できるのだろう。「この県道を塞ぐと交通が寸断されてしまう」と簡単に理由は言える。
 それが分かっているのだろう。デモ側も「非暴力」を唱えていた。「人間性においては生産者である我々農民の方が軍人に勝っている」という文言には全く支持できなかった。軍人もまた人なりである。彼らと僕らの何が違うというのだろう。
 立て看板によればこの日は座り込み1149日目。節目には大量に動員をかけるのだろうが、この日はそういうことはなく、おそらく普段から通っている人たちしかいなかったのだろう。そういう意味では若い人もちらほらいて、年配者だけじゃないのだなとやや驚きがあった。
 もう一つ基地に行って分かったことは、立ち入り規制があくまでも日本法に基づいて行われていることである。当然のことではあるのだが、基地の入り口には黄色い線が引かれてあって、そのさらに置くに門なりゲートなりがある。近くには看板がかかっていて、黄色い線の内側に入ると日本の国内法に違反する旨が書かれている。「あくまでお前らの決まりだからな」と高圧的な印象を受けるか、「自分たちで決めたことだ」と胸を張るかは人それぞれだろう。
 第2ゲイトのバス停まで歩き、バスを待った。午後2時ごろである。ゲートを出入りする車の中には、日本のものではないナンバープレートを付けている車もあった。

全国共通のちょっと違うところ

 バスで世富慶へ。同じ線に「第二世冨慶」停留所もあるが「富」の字が違う。住所検索すると「冨」が正しいようだ。世富慶停留所からすぐのスーパーで、ドリンクを買った。片栗とよもぎを混ぜたとろみのある飲み物。冷たくて美味しかった。
 近くのマクドナルドでしばし休憩。旅先でわざわざマクドに入るなんて、と思われるかもしれないが、旅先だからこそ全国共通の店の微妙な差異を発見することが面白いのである。時給は700円台後半。沖縄県最低賃金が714円だから「まだマシ」かもしれないが、大阪の繁華街だと1000円を超える店もある時代、沖縄の経済事情の厳しさを垣間見た。スタッフ数はどう考えても足りていなかった。
 いい時間になったので再びバスでホテルへ。途中にまた豪雨があったが、運が良いのか下りる頃には小雨に。すでにチェックインを済ませていたメイン行動班のメンバーらと合流した。

バーベキューからの飲み会

 夕飯はバーベキュースタイル。でもホットプレートみたいなやつでやったので大した火力もなく、やや迫力にかけた。お腹いっぱいにはなった。
 午後9時ごろからは宴会場に場を移して飲み会。例年、畳のある和室でやっていたのだが今回は小さな講堂みたいなスペースだったため、パイプ椅子に座って、テーブルの上のつまみや酒を囲むような形に。どんな体勢で飲むか、というのは宴会の雰囲気に大きく影響を与えるようで、膝を突き合わせるような距離感の近さがなく、あまり盛り上がらなかった。
 午後11時で宴会場が使えなくなるので、そそくさと片付け、部屋飲みへ移行。睡眠組以外の男子はほとんどひと部屋に集まり、女子も一部集まっていたと思う。社会文化部長のテンションが高く、手当たり次第の男に抱きついていた。僕も抱きつかれた。夜が深まると、辛気臭い話もした。みんな頑張って生きてるよなと思った。僕はどうだろう。
 午前4時前に飲み会は終わり、それぞれの部屋に戻って寝ることに。僕は辛気臭い空気をもう少し味わっていたくて、ロビーで音楽を聞きながら過ごすことにした。大きなテレビがあって音量は小さめにしてNHKにチャンネルを合わせ「NHKニュースおはよう日本」を待っていたが、どうやら開始前には寝落ちていたようだ。

*1:NHK福岡放送局発の九州沖縄地方に放送されるニュース