また夢ンなるといけねえ

成績不振の男子大学生。2018年1月まで新聞サークルにうつつを抜かしていた。堺―大阪―神戸が生活の拠点。

五輪一色はもうしんどい

 世間の関心が一つに集まっている時に、それ以外の世の中の出来事もちゃんと伝えてバラエティーを確保することはメディアの役割の一つである。テレビはライブメディアである以上、その役割をはたすのは難しいかもしれない。だけど新聞ならまだその余地がある。

 オリンピック、正直あまり関心を持てないのでテレビはもう降参。新聞に逃げようと思うのだが一般紙1面は連日五輪本記が載るばかり。読み物として成立する記事ならまだしも、ただの本記はちょっと……としんどくなる。だから今は日経新聞に逃げている。

 別に、五輪に隠れて政経国際の重要ニュースが覆い隠されてけしからん、とか、そういうことが言いたいわけではない。とにかく、五輪以外のことを「ニュース」の枠外から外すことは、五輪にうんざりしている者を疎外することと等しい。「そうは言ったって」と思う自分もいるのだが、あの東日本大震災の後ですら日経新聞が朝刊の文化面を欠かさず続けたことを考えると、やはり新聞とはそういうメディアなのである。

 でも一般紙がこの体たらくでは、再来年の東京五輪が、もう今からうっとうしい。

ひとまず脇役を全うする先輩

 先輩手製の号外が配られた途端に宴会場のあちこちから歓声が上がり、拍手が沸く。スポーツ紙風にデザインされた「交際」の大見出しの横には別の2人の先輩のツーショット写真。中には今さっき、先輩の薬指に見えたものと同じペアリングが輝いている。

 先月引退した報道サークルの追いコン(追い出しコンパ=今春卒業の4年生を送り出す飲み会)で、同サークルとしては久しぶりにビッグカップル誕生の報が轟いた。すぐさま「記者会見」が始まり、恥じらいを隠せないカップルの一方を気遣いながら、もう一方の男性の先輩が交際の経緯などを報告した。

 彼氏側の親友であり号外の記事を書いた先輩が、誕生日プレゼントとして自撮り棒を贈呈。早速パシャパシャやっていた。

 確かにとても喜ばしく、微笑ましいニュースだった。(部内としては)文句なしのビッグニュース。それか追いコンのハイライトになってしまった。

 と、同時に、号外を書いた先輩は少し淋しそうだった。そりゃそうだ、親友に彼女ができたんだから。

 2次会以降、僕はその先輩の淋しさの吐露を受けた。いつもより酔いが回るのが早く見えた。

 主人公はどこまでも主人公然とした態度をためらいなくとれる。トートロジーだが、それこそが主人公たるゆえんだ。いつもより淋しそうな先輩は、最近自らが主人公の舞台を一つ失ったばかりで、あまりにも脇役然とし過ぎているように僕には思えた。

 先輩は先日、やや高めの服を幾着か買い揃えたらしかった。ブランド名を挙げていくが、ファッション音痴の僕には全く分からない。僕は褒められた観客ではなかった。ああ、服の趣味を持っていればなあ、とちょっと自分を恨んだりもした。

 先輩は編集室で酔いに酔い、缶を倒して中味をこぼすことが2、3度にわたった。脇役としては名演である。呆れながら僕ら後輩で後始末を引き受けた。

 今は主演復帰を諦める素振りも見せた先輩だが、僕は先輩の主演舞台が見たい。まあ親友とのW主演はちょっと胃もたれするので、あくまで別個シリーズとしてお願いしたいけど。

新聞の楽しさを取り戻す――報道サークル引退に際して

 最近出掛け際に日経新聞の朝刊をカバンに入れて、電車の中で読む習慣を始めた。

 別に就職活動が近いからではない。電子版も整備されスマートフォンでも簡単に記事を読めるこのご時世、車内で紙の新聞を器用にめくりながら記事を読んでいくおじさんの振る舞いにあこがれただけだ。

 僕は1月まで3年弱の間、インカレ(多大学間)の報道サークルで新聞を作っていた。大学の制度から学生劇団の公演、スポーツ、研究ニュース、ボランティア、そしてわが大学で多数の犠牲者が出た阪神・淡路大震災のメモリアル報道――。いろんな取材をし、たくさん記事を書き、たくさんの紙面を編集した。新入部員への教育も担当した。だけど縦折りで新聞を読む習慣はなかった。

 いざ始めてみると、なるほどたくさんの発見があるものだ。

 テーブルに置いて全体を眺めるときよりもじっくり読んでいることに気付く。まるで本を読むようにくまなく読んでいる。まあこれは僕特有の現象かも。でもインドの国家予算が日本の半分くらいだということ、「無印良品」がブランド消費の社会風潮へのアンチテーゼとして生まれたこと、サウジアラビアの国営石油会社サウジアラムコは国柄に反して近代化が進んでいること――とまず普段の環境なら入ってこない情報を手に入れることができる。

 メタ的な話で言えば、15段組紙面は縦折りにしても紙面の多様さが確保できるほどレイアウトづくりの幅があって良いなあとか。1面の「NEWS&VIEWS」が左側に位置するのは、トップと準トップをレイアウト上の横幅が1対2になるような常道の縦割りレイアウトをしても、縦折りすれば折れる位置がちょうど記事間になるので読みやすいんだなあとか。中面で面の真ん中を縦に貫くようにベタ記事を並べる理由の一つには、縦折りの位置と重なることもあるんだろうか、とか。

 逆に紙面の右から左まで文章が貫くように組まれた、オピニオン系の面のレイアウトからは、車内の窮屈な空間じゃなくてゆったりしたところで落ち着いて読んでほしいというメッセージを感じる。考えすぎだろうか。

 ああ、サークル現役時代、あれだけ調べ、学び、考え、理屈を立て尽くしたように思う新聞レイアウトも、まだまだ見えていない世界があるもんだなあと、後輩を前に威張り倒した自分をちょっと反省した。

 現役当時も思っていたことではあるが、一緒に良い紙面、良い記事とは何か、楽しく考え合う仲間がもっと多かったら僕ももっとたくさんの発見を得て、編集室にいる時間を幸福に感じられたのに、と思わないでもない。逆に言えば、どこか自分ばかりが(求められもしないのに)背負い込んだ部分もあるのだろう。

 引退の日、OBから「読者のことを考えろ」とアドバイスをいただいた。最後の1年は会社で言う管理職のような立場だったので読者のことだけ考えるわけにもいかなかったし、正直なところ、記者生活最後の締めくくりという場面でそんなこと言わなくても、と思い出の最後のピースを吹き飛ばされたような思いがした。でも自分もまたOBとなった今は、あの人が言っていたことは確かに正しいんだよなとしみじみと思う。

 熱心なおじさん読者のように縦折りで新聞を読むことも、現役の時だったら「仕事」の意識になって、楽しさはだいぶ抑えられたと思う。実際大学の図書館で神戸新聞を手に取ったら「大学関連の大きなニュースがないように」と祈って紙面を繰っていた。

 もちろん取材でたくさんの出会いがあり、たくさんの貴重な経験をし、サークルの仲間とのあまたの楽しい思い出はある。特に震災関連の取材では、自分の人生観が変わるような、本当にありがたい体験もさせてもらった。でも、それが記者生活の一面なら、新聞を純粋に楽しめなくなっていたのもまた、残念ながら否定し難い一面である。仕事なんてそんなものだと思う。

 どこか遠い記憶となりかけていた「新聞の楽しさ」を、いま取り戻し始めたように思う。やっぱり新聞は読者として楽しむのがいい。または新聞が発行される限り、「楽しさ」と付き合い続ける人生が再開されたのだ。

 ただ、サークルに身を置かなかったら、今の「楽しさ」はなかっただろうとも思う。3年弱で手放した機会費用がそれに見合ったかどうかは、まだ判断しようがない。

野中広務氏死去…各紙の評伝を読む

 官房長官自民党幹事長などを歴任した野中広務氏が26日午後に亡くなった。評伝記事の読み比べをしたかったので、朝毎読産日の全国5紙と京都、神戸の地方2紙を購入した*1。今回はその感想を書き留める。なお野中氏死去関連の記事の見出しや扱いについては、最後に一覧で記述した。

*1:地下鉄東梅田駅近くの売店「近販東梅田売店」で購入。全国紙は大阪本社版。朝日14版、毎日14版大阪、読売14版、産経15版、日経14版、京都17版、神戸15版。

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共同通信の記事差し替え問題を考察する

 京都大iPS細胞研究所の論文不正問題に関連して共同通信が1月25日、問題の論文を掲載した米科学誌の創刊に同研究所の山中伸弥所長が深く関与していたという内容の記事をウェブで配信し、多くの批判が集まった。さらに数時間後、この記事と同じURLにもかかわらず、記事の眼目が、山中所長が問題の責任を取るために給与を研究所に寄付するという内容に差し替わり、これもまた批判の対象となった。今回は本件のうち、差し替え行為自体の妥当性について検証、考察しようと思う。

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西部邁氏自殺報道をWHOガイドラインと照らし合わせる

 1月21日午前、評論家の西部邁さんが亡くなった。自殺とみられている。自殺報道はその内容によって、報道に接した人による後追い自殺を誘引しかねないとして、慎重にされるべきだとの考えがあり、世界保健機関(WHO)もガイドラインを作っている。今回の西部さんの件で言えば、著名な評論家でかつ著作などで自死を公言していたこともあり、一報を受けてから各社どのように報じるんだろうと気になっていた。

 ということで今回は22日付けの各紙朝刊を見比べる。いつものように全国5紙大阪本社版と京阪神の地方3紙のそれぞれ最終版を比較対照とした。京阪神3紙は共同電を使用。朝日、毎日、読売、産経、京都、神戸は12段組紙面、日経と大阪日日は15段組紙面。

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引退おめでとう

 「引退おめでとうございます」

 この取材でもう新聞部は引退なんです、と取材で幾度となくお世話になったあるボランティアサークルのOGに告げるとこう言われた。別のOBが「いやいや、おめでとうじゃなくて、お疲れ様でしたやろ」とツッコミを入れ、場が和んだ。

 引退、の後に、おめでとうございます、を足すのは確かに一般的ではないかもしれない。でも僕は、やっと終わったか、という思いだったので「おめでとうございます」がしっくり来た。

 もしかして僕の取材はしんどそうに見えたんだろうか、とも深読みしたが、そんな嫌みを言う人じゃないだろう。

 

 うちの新聞部の顔ぶれは、以前の時代とは違いジャーナリズムを志すような人間が多くはない。しかも担当が特に決まっているわけではなく、大まかにスポーツとそれ以外で分かれているだけ。自ら、この取材を重点的にやるというテーマを持つ者も少ない。だから「何度も顔を合わせ取材してきた相手」がいる部員も少なくなってしまった。

 僕は、懇意な先輩から取材テーマや担当を引き継いだこともあり、阪神・淡路大震災を筆頭にいくつかの取材テーマを持った。だからなじみの取材相手も何人かいた。「記者なら当たり前だろ」とお思いの読者もいるだろう。僕もそう思うけど、残念ながら部の現実はそうではない。

 

 僕はなんとなく、新聞部を引退することの実感は、最後に原稿を書いたり紙面を作ったりするときに生まれるものなのかなと思っていた。確かにその時も感慨はあったけど、さっきのように取材先から言葉を掛けられてハッとした。そうか、僕はもうこの人を取材しないんだ、と。

 

 疲れ切った新聞部の活動だし、二度とやるまいと思う。部の仲間とは今後も会う機会はあるだろうし、部の籍が抜けること自体にそこまで淋しさはなかった。でも取材先との関係に何らかの変容が起こることは、確かにちょっと残念かもと思った。