また夢ンなるといけねえ

成績不振の大学生が書く、日記とかメディアの話とか。幾度となく開設しては閉鎖してを続けてきた我がブログ遍歴。今度は末永く続くように。

インタビュー考(1)1往復で終わらない

 7月に母校に呼ばれてインタビューの実践について講演をすることになった。もっと適任はいると思うのだけど、卒業生で薄給でこき使える楽な人手ということなのだろう。僕も気分転換になるので応じた。

 講演に先立って資料を作らねばならないのだが、断片的なことはいろいろ思いつくがなかなかまとめられない。そこで、とりあえず断片的な思いつきをメモにしていき、あとで体系立てて行くことにしようと思う。

事前準備の項目はあくまで端緒

 当然ながらインタビューの前には事前に質問項目を用意するのだが、初心者は例えばAという質問をしてそれに対する回答が返ってきても「ありがとうございます、では次の質問ですが」と言ってしまうことがある。先輩記者として同伴して行くと、マジかとのけぞりたくなる。

 それならメールで質問を送れば済む話だ。なぜ対面でインタビューするかと言えば、やはりその場で会話のシャトルを行き交わせることで多くの情報を取り入れることができるからだ。事前項目はあくまで会話の端緒であって、そこから何か掘り下げていくような質問をその場で返さなければならない。

鍵は5W1H

 とは言っても相手からの返答にその場で考えて質問を返すというのは難しいと思う。いろんなパターンはあるのだが、初心者でも一番やりやすいのは「5W1H」の意識だと思う。言うまでもなくWho、When、Where、What、Why、Howの六つだが、相手からの返答の中で曖昧な要素をこの5W1Hの中から探し出せば、自ずと追加質問につなげられる。

 例えば「なぜ数学が好きになったのですか」との質問に「昔、仲の良かった先生が数学の先生で、数学に関する雑学を話してくれたり、本を貸してくれたりしたのがきっかけでした」と答えが返ってきたとする。「昔」とは具体的にいつのことなのか(小学校時代なのか中学校時代なのか、など)、「仲の良かった先生」とはなぜ仲が良かったのか(部活の顧問だった、とか)、数学に関する雑学とは具体的に何か、印象に残っている話は何か、本はどんな本だったのか、などである。

事実を回顧することで思い出す感情がある

 追加質問に窮する初心者がよくやってしまうのが「その時どう思ったのですか」のような質問だ。思いを聞くこと自体は悪くない。ただ人の記憶というのは結構あいまいで、丹念に事実関係を振り返ってもらう中で「そういえばあの時こんな感情があった」とか「言われてみればこんなこともあった」と、忘れていた感情や情報を掘り起こせることもある。理想は当時の状況を絵に起こせるくらいまで聞くということ。そうして情報を整理した上で、当時の思い・考えを聞かれたほうが答えるほうも答えやすくなる。やや口幅ったい物言いにはなるが、インタビューというのは一方的にこちらが情報を聞き出すというものではなく、インタビュイーと一緒に事実を追究する営みだと思う。インタビュイーはただの機械ではないのだから。

きょうも生きています #41

 ▽線形代数をひたすら勉強。問題集で何を言っているのか分からなかったベクトル空間、部分空間の話がようやく理解できた。分配律が通用しない世界。一口に「論理」と言ってもいろいろあるということか。

 ▽量子論理と言えば、ツイッターのタイムラインで見た「シュレディンガー池田大作」がツボにはまった。観測されるまでは重ね合わせである。

 ▽関学大選手に悪質な反則タックルをした日大アメフット部の選手が実名・顔出しで会見を開き、監督やコーチからの指示・圧力を明言した。会見で質問をした社は多くがテレビ局でかつ番組キャスター。故に映像として映える質問ばかりでうんざりだった。元関学大クオーターバックTOKYO MX NEWSキャスター有馬隼人氏の「審判の笛は聞こえていたのか」という質問は秀逸だった。記憶にとどめておきたい。

 (2018.5.22)

夕刊編集ヤマ場の西城秀樹さん訃報

f:id:CharlieInTheFog:20180517210151j:plain
西城秀樹さんの死去を伝える毎日(左上)、読売(右上)、産経の17日付夕刊(大阪本社発行)
 歌手の西城秀樹さんが亡くなり、きょう午後0時半すぎに各社が速報しました*1。この時間は夕刊編集のヤマ場と言っていい時間でしょう。出身地広島の中国新聞は夕刊がないため号外を発行したようですが*2、大阪の各紙は早版に間に合った社と、間に合わなかった社とで分かれました。

 私が確認したのは朝日(4版)毎日(3版、4版)読売(3版、4版)産経(4版、5版)日経(3版、4版)神戸(5版)でした。確認方法は神戸市立灘図書館での閲覧と、大阪駅売店での購入です。朝日と神戸は両地共通でしたので比較はできません。神戸は普段は最終版が4版ですので、事実上の追い版を作ったことになります。

 比較可能な4紙のうち、早版で掲載できたのは読売だけでした。3版では1面3番手でしたが、4版では2番手に格上げ、第1社会面にも評伝、ファンの声、野口五郎さんと湯川れい子さんの談話を載せました。

 以下最終版での話となりますが、1面で扱ったのが朝日(2番手)読売(2)産経(3)神戸(3)。さらに第1社会面にも記事を展開したのは読売(2番手)産経(トップ)神戸(トップ)でした。神戸は1面、1社面とも共同電使用です。毎日(2番手)と日経(4番手)は1社面の扱いで、毎日は共同電を使っています。

 最終版での本記の見出しを列記します。

朝日 西城秀樹さん死去/63歳 新御三家ヤングマン
毎日 西城秀樹さん死去/63歳 「ヤングマン」「情熱の嵐」
読売 西城秀樹さん死去/新御三家 「YOUNG MAN」/63歳
(3版)西城秀樹さん死去/新御三家「傷だらけのローラ」/63歳
産経 西城秀樹さん死去/新御三家ヤングマン」/63歳
日経 西城秀樹さん死去/「YOUNG MAN」/63歳
神戸 西城秀樹さん死去/63歳 「YOUNG MAN」

 音楽関係の著名人の訃報は代表曲を見出しに取りますが、どの社も「YOUNG MAN(Y.M.C.A.)」を見出しに取っています。読売は3版では「傷だらけのローラ」でしたが、差し替えたのですね。

 本文中ではどの曲が紹介されているのでしょうか。こちらも各紙本記での登場順に列記してみましょう。太字は第1段落掲載曲。読売の結果は3版、4版共通です。

朝日 YOUNG MAN(Y.M.C.A.)傷だらけのローラ、恋する季節、ちぎれた愛
毎日
神戸
傷だらけのローラYOUNG MAN(Y.M.C.A.)、恋する季節、情熱の嵐、激しい恋、ブーメラン ストリート、ギャランドゥ、走れ正直者
読売 YOUNG MAN(Y.M.C.A.)傷だらけのローラ、恋する季節、激しい恋、ブーメランストリート
産経 YOUNG MAN(Y.M.C.A.)、恋する季節、傷だらけのローラ
日経 YOUNG MAN(Y.M.C.A.)ギャランドゥ、ちぎれた愛、傷だらけのローラ

 さらに俳優としての活動は、読売が「寺内貫太郎一家」、神戸と毎日の共同電が「寺内貫太郎一家」「つばさ」「愛と誠」、日経が「寺内貫太郎一家」「愛と誠」を本記で紹介しています。

*1:J CASTテレビウォッチによるとテレビでの速報状況は、フジ午後0時32分、TBS同38分、テレ朝同45分、NHK同39分だったようです。www.j-cast.com

*2:朝日新聞・宮崎園子記者のツイートより。

きょうも生きています #40

 ▽創立記念日で授業はなし。午後まで惰眠を貪り、スーツをクリーニングに出した。給料日の出費である。

 ▽夕方はアルバイト。きょうは作業量が多く、一休みもできなかった。報道サークル時代、ノンストップで18時間校閲作業に従事したことがあったが、あの緊張感に近いものがあった。心地よい疲れがある。

 ▽日大のアメフット悪質反則問題。大学アメフットは取材経験があり、その時に基礎的なルールは学んでいたのでニュースがすんなり理解できる。元々けがの多いスポーツだけれど、あれは衝撃的な映像だった。スポーツマンシップみたいなものをあまり信用していないけれど、さすがにこれは……という感じがする。

 (2018.5.15)

新潟小2殺害事件で男聴取、夕刊遅版でトーンダウン

f:id:CharlieInTheFog:20180514191910j:plain
3版(左)にあった「重要参考人」の表現を4版(右)で外し、1面トップから社会面トップに格下げした毎日新聞大阪本社発行14日付夕刊

 新潟市で小学2年の女児が7日殺害され、線路上に遺棄された事件について、各紙は14日付夕刊で新潟県警が近所に住む20代男を任意聴取した旨報じていますが、早版と遅版でその報じ方がトーンダウンし、ややシロ寄りの表現に差し替わりました。事件報道観察の参考とするため、その差分を記録します。

 なおその後、午後5時35分頃のNNN(日本テレビ系列)ニュース速報が先駆けとなり、各社が、男が関与を認める供述、逮捕状請求へ、とトーンを戻して報じています。

 【追記情報 午後10時35分】日経3版、神戸4版を入手しましたのでその内容を踏まえて加筆、修正しました。

  • 「重要参考人」を削った朝日と毎日
  • 日経は参考人維持も「詰めの捜査」外す
  • 産経は参考人維持、読売は扱い格上げ
  • 神戸は「重要参考人」「詰めの捜査」
  • 資料
    • 見出し
続きを読む

きょうも生きています #39

 ▽明日は母の日。阪急三番街の生花店には宵のうち行列ができていた。カーネーションの特売である。そう言えば高校の同期にはすでに2子をもうけた「母」がいるなあ。彼女も誰かの子であり続けはするのだけれど。

 ▽子を望む気持ちが僕にはまだ分からない。ましてや希死念慮にとらわれる日々。母の日を前にふと親の顔を思い出すと、望んで生んだ子がこれだもんな、と不敬ながらちょっと同情する。

 ▽どんな子であれ子は子であるだけでかわいい、なんてことが幻想なのは、社会にあふれる虐待や、目に見えない形での親子の緊張が証しだ。だから僕の両親はよくできた人間だと思う。ゆえに、さすがに「望んで生まれてきたわけではない」のような暴言を親に浴びせるような真似はしない。でも多分今の僕の、宙に浮いた生活がその種のプロテストを体現していると思われてもやむを得ないような気がする。子は親を選べないが、親も子を選べない。

 (2018.5.12)

「あなた」は「私」ではない

 元々大学で友達が少なく、インカレの報道サークル出身の同期がみんな就職活動で忙しいと、本当に人と話すことがない。アルバイト先で上司と仕事の合間に少し雑談する程度。自分発信で何かを話すことはまずない。

 で、ツイッターにぐだぐだと書いたり、このブログに何かを書き留めたりすることになる。発し手は僕だけど、受け手は誰か分からない不特定の存在になる。

 しかも僕が受け手になるコミュニケーションも、マス対一が多くなる。誰かから不特定多数に発せられるものの、あまたいる受けての一人として僕が存在する。

 するとどうしても主語や目的語が、大きい、あるいは、抽象的なものになってしまう。

 僕は以前ほどテレビを見なくなってしまったから言葉が「大きい」方はそこまで接していないが、ラジオや音楽など「抽象的な」方は増えていると思う。

 ラジオは「皆さん」ではなく「あなた」に語り掛けるメディアだ。だけどそれは仮想に過ぎない。「あなた」はすなわち「皆さん」だ。でも、そのからくりを知った上でなお「あなた」は私だと思えてしまう。

 遠近感に錯覚が生じて頭の中がぐわんぐわんする。