また夢ンなるといけねえ

成績不振の大学生が書く、日記とかメディアの話とか。幾度となく開設しては閉鎖してを続けてきた我がブログ遍歴。今度は末永く続くように。

きょうも生きています #51

 ▽遅ればせながらアニメはたらく細胞を追っかけ始める。標識なんかが交通インフラに似ていて、そういえばロゴなんか修悦体っぽい。血小板の労働はユニセフとかILOとかが怒りそう。

 ▽テスト前の勉強。金融政策の教科書を読んでいたら、日銀がまさに金融緩和策の修正を発表。ふーんと思いながら、スタバで勉強を進める。

 ▽東京五輪の開閉会式の統括が野村萬斎氏に決定。リオデジャネイロパラリンピックの閉会式で見た「東京は夜の7時」の演出はとても良かったなあ、などと思い出す。技術革新による困難の克服がモチーフだった。問題はそれを受け入れる人間の心の方だが、エアコンすら甘えとか言い出すようでは……。

 (2018.7.31)

自分のことなんか分かっちゃいないのだ

 大学に友達もいないので、1月に引退した報道サークルの同期連中とは積極的に会う機会を得ている。彼らは僕や院進予定者とは違ってストレートに卒業していくし、就職活動もおおむね好調でほとんどがすでに終えている。モラトリアムのタイムリミットも見えている中で、サークル時代を振り返ることは彼らにもそれなりに感慨あることなのだろう。
 
 先月、後輩も交えながら居酒屋に行った。みんないろいろな話をしたように思うが、僕にとってはサークル時代は後悔の連続なので必然的に語り口が暗くなってしまう。地震後少し気持ちが落ち込むこともあったからか、一言二言ぼやいたのだと思う。自分は当時の役職を全うできなかったと思う、そういう類のことだろう。すると同期は「でもあなたがサポートしてくれなかったら引退まで続けていなかったと思う」と言ってきた。

 これが僕には結構驚きだった。

 確かにその同期は新聞や報道のお作法に詳しいわけではなかったので、僕もいろいろ教えたことはあった。でも僕は先輩や指導役としてはどうしようもない人間で、学ぼうという気がない人間にはいちいち教えようと思えない、そういう悪癖がある。なぜその同期に丁寧に教えたのかといえば、何よりも当人自身がより良い紙面を作ったり、ピンチのときにはなんとか打開できないかと考えたりしようとしていたからだった。僕に限らずサークル内の有識者に、積極的に助言をもらいにいっていたのを覚えている。実際、その同期のサークル部員としての能力の伸びは、同じ学年の中でも群を抜くものがあったと割りと多くの部員が認めているところだ。

 そんな同期の活動のモチベーションの一部に、自分の働きがあったとは思いもよらず、言葉が出なかったように思う。

 その日はなんか恥ずかしくなっちゃってお礼をちゃんと言わなかったような気がして、後日たまたま会った時に改めて謝意を伝えた。

     ◇

 今年上半期に読んだ本の中で最も印象に残っているのが、與那覇潤著「知性は死なない 平成の鬱をこえて」(文藝春秋)である。

 彼はかつて「中国化する日本」などの論考で気鋭の若手歴史学者として注目されていた。僕も予備校時代に講演を聞きに行ったことがある。しかしここ最近メディアへの露出が全くなく、そういえば今は何をされているんだろうと思っていた頃にちょうど、この本の書評記事を見て驚いた。双極性障害(いわゆるそううつ病)を患い、大学教員を辞めていたのだ。「歴史学者廃業記」と題したコラムもインターネットで配信された。

 本の中で彼は、うつの状態の時にいくら脳が命令しても身体がうまく動かない体験と、理性的な言論が通用しにくくなっている世界の現状とを重ね合わせて考えている。このあたりの考察の切り口は、彼が持っていた小気味よさがちゃんと現れていて安心した。

 この本の結論として、社会は、能力を共有しながらも自由や競争を完全には失わないような在り方を目指すべきだとしている。昨今の競争社会では、個に高い能力が求められる。しかしその能力が高く発揮されるのは、能力を個が独占したときではなく、能力が共有されたときなのだというのだ。

 属性や肩書に左右されないデイケアの場で、互いの能力を競い合いつつ、しかし互いに活用しつつ、それぞれが人間として生き生きするようなコミュニケーションが生まれた体験から導かれた結論だ。そもそも能力は独占したくてもできない、なぜなら能力はそれを認める者がいて初めて成立するからだ、という至極当然だけれど現代で忘れられがちな事実を、改めて力強い言葉で教えてくれて、僕は読後に涙した。

     ◇

 大阪大学大竹文雄教授が昨年出した「競争社会の歩き方」(中公新書)では、競争によって各者が自分の強みを見つけ、社会を活性化させることができるとしている。言うまでもなく経済学の基礎中の基礎的な考え方だ。同書でも登場するたとえを引く。

 バスケットボールのスター、マイケル・ジョーダンは野球も得意だったという。一度だけメジャーリーガーへの転身を図るのだが、プロの熾烈な競争社会では勝てず、バスケに専念する。競争によって各者を得意分野への特化に導き、結果一人の強者による他分野の独占を防ぎ、多くの人が活躍の場を得られるようになる、という理屈である。さらに競争がなければ、自分の未知なる長所に気が付きにくくなる。だから競争は肯定されるわけだ。

 実際のところは比較優位に完全準拠した究極の分業化は、さまざまな困難があり実現しないものだけれど、でも経済学が想定する競争社会の意義を知っておくと、競争に敗れたことがすなわち人間としての敗北ということにはならないことがよく分かる。そして、自分のことを自分が一番よく分かっているわけではないことも。

     ◇

 お世辞にも僕のサークル幹部としての振る舞いは、丁寧とは言えないものだった。時に強引に、時に感情的になり、実際付き合ってられないと去って行った部員もいたと思う。余裕のない自分にいら立ち、決別する部員たちの幻影を見ながら自分が情けなく思うことばかりだった。自分の仕事が役に立っているかもしれないという予想はあっても、自分の仕事が他の部員の仕事のモチベーションになっているという予想は全くしていなかった。

 その同期からの言葉をもって自分のサークル幹部としての1年間を全肯定するのは、さすがにおかしいとは思うが、比較的全否定に近かった自意識もまた正しくないのだなと思わせられた。結局僕は、何も分かっていなかった。本当は後学のためにもう少し、具体的に僕の振る舞いの何が良かったのか聞いてみたい思いもあるのだが、ちょっとそれは気持ち悪いので控える。ただ、今は思い込みの誤りに気付かせてくれる友達の存在に感謝するのみである。

ラジコで新広告実験、リスナーに応じて放送差し替え

 地上波ラジオのIPサイマル配信サービス「radiko(ラジコ)」で、放送の一部を差し替えてリスナーの性別や年代などに合わせた広告を流す「オーディオアド」の実証実験を24日午前5時から始めると、ラジコの運営会社、株式会社radikoが23日、ウェブサイト*1で発表しました。

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「オーディオアド」の実証実験実施を知らせる株式会社rajikoの報道資料
 発表によると差し替えるのは放送局の自社広告部分で、販売広告枠はこれまで通り地上波放送と同じものが流れます。また過去1週間の番組を聴くことができる「タイムフリー」でも差し替えはありません。実験は在京7局で始め、今秋に在阪6局にも広げ、順次全国への拡大を目指すとのことです。

 通常のラジオ広告では放送局が枠を企業団体に販売し、放送局が広告を放送しますが、オーディオアドではどのような形になるのでしょうか。株式会社radikoが販売・配信を引き受けるのかなど、気になります。またもしそうなると、番組によっては放送内容にそぐわないCMが流れることもありえると思いますが、そのあたりもどうなるでしょう。

 ラジオ全体の聴取率が低下する中で、TBSラジオが今春、ナイター中継を取りやめて若者層がターゲットの「アフター6ジャンクション」を始め、同局としては初めて20〜34歳男女の層で首都圏1位を取る*2など、ラジオ業界が新たなリスナー層発掘に向けて本腰を入れ始めている現在。ラジコが果たす役割も大きなものがあると思われます。オーディオアドはラジコの歩みの集大成とも言えるでしょうし、ぜひ成功してほしいと思います。

*1:株式会社rajiko、2018年7月23日報道資料「2018年7月24日より広告商品『ラジコオーディオアド』の実証実験を開始」http://radiko.jp/newsrelease/pdf/20180723_001_pressrelease.pdf

*2:TBSラジオに吉兆?若者層リスナー増えた ナイター中継撤退効果か/芸能/デイリースポーツ online

きょうも生きています #50

 ▽散髪してもらっている間、堺の街並みの変化についてずっと話していた。「そういえば昔あそこにあれありましたよね」。地盤沈下はなはだしい我が街衰退の歴史をたどる。

 ▽昨夜に思いがけない、そしてあわよくば実現してほしくなかった再会があり気分が落ち込んでいた。未明に発泡酒をあおりながら、カンテレで放送していた「寺門ジモンの取材拒否の店」の遅れネットを見る。いい番組だ。

 ▽そして夜、サークルの先輩や同期と飲む。前夜とはうってかわって、歓迎すべき飛び入り参加も。2軒目を出て終電までくだらない話をした。仕事に追われた現役時代の殺気立った空気ではとてもできない良い飲み会。うれしい言葉も掛けてくれたが、それはここでは書かずに胸にしまっておく。

 (2018.7.22)

きょうも生きています #49

 ▽「ニュースステーション」ではプロンプターを使わなかった。時折下を向いて原稿を読むほうが人間らしさが出る、という久米宏らの判断を論文*1で読んだが、それにしてはあまりにもアドリブ時に比べて、極めて「原稿読み然」としていたように思う。もしかして客観報道と論説の区別を意識していたのでは、というのは深読みが過ぎるだろうか。

 ▽最近Amazonプライム・ビデオで「ニュースルーム」を見ている。シーズン2の途中まで見終わったところ。ケーブル局の硬派報道番組を舞台にした群像劇だが、日本の報道番組とは演出も制作スタイルもかなり異なるよう。アメリカのニュース事情について調べてみたい。

 ▽先日ひさしぶりに卒業した高校を訪ねたこともあり、高校時代のことをよく思い出す。卒業から4年がたち、どうも自分に都合の悪いことやささいなことは忘却の彼方へ行きつつあるらしい。時間が解決してくれるものもあるものだなあと思う。

 (2018.7.17)

*1:廣谷鏡子・米倉律(2009)”テレビ美術から見る「キャスターショー」の誕生と発展~『ニュースセンター9時』と『ニュースステーション』のスタジオセット分析を中心に~” https://www.nhk.or.jp/bunken/summary/research/report/2009_11/091104.pdf

きょうも生きています #48

 ▽木曜日に大学敷地内で土砂崩れが起き、避難勧告が出て授業が休講になってからずっと記録的大雨の情報とにらめっこしている。睡眠も仮眠程度のレベルを何回か繰り返しとるくらいしかできない。疲労が抜けない体で、振替輸送を駆使してアルバイトへ向かった。

 ▽趣味仲間ともスカイプで通話しながら夜を明かしたが、朝を前に状況が悪くなり一時避難した者もいた。大学近くでは住宅に土砂が流入する事態になったという報道も見た。地震に続き、心の休まらない日が続く。

 ▽疲れるとネガティブなことを考えてしまうようで、同じ日本語を話しているのに言葉が通じていないような感覚について、アルバイト中考えていた。そういえばこの感覚を友人と話したときに、友人がすごく共感してくれたなあ。僕は所構わず考えたことを書き殴っているが、周りが深く共感してくれたのを僕が自覚したのは初めてかもしれない。「言葉が通じた」と思った言葉の内容が「言葉が通じていないという感覚について」というのは皮肉だと思う。

 (2018.7.7)

「執行手続中」に頭が攣るような感覚が……

 オウム真理教事件の7人の死刑が6日執行された。1日に7人もの死刑囚の刑を執行するのは東京裁判A級戦犯の執行以来70年ぶりで、日本が独立を回復してからは初めてになる。

 僕が一報を聞いたのは午前8時40分すぎ。前夜から趣味仲間とスカイプ通話をしながら大雨災害の状況を見守っていたところ「麻原の死刑執行手続き開始って日テレが言ってる」と彼が叫び、僕も慌ててテレビのチャンネルを替えて確認したのだった。

 とにかく「死刑執行手続き開始」という文言になじみがなく、頭が攣ったような感覚になったのを覚えている。普通死刑執行の報道は、執行が済んでからの話である。現在進行形で報じられたのは記憶がない。

 その後日テレは「他に今日中に5人以上の死刑が執行される見通し」、さらに「今日は松本死刑囚含め7人の執行予定」などと伝えた。「執行予定」ってなんだそりゃ。頭が余計にこんがらがった。

 そして徐々に執行された死刑囚の名前が出てくる。テレビ朝日は執行前に新実智光、土谷正実、遠藤誠一の3死刑囚の名前を「執行手続中」として報じた。松本死刑囚以外で執行の確認前に名前が出たのは僕が見た限りこれだけだと思う。

 不謹慎かもしれないが昭和天皇崩御報道を思い出した。宮内庁が「ご危篤」を発表したのは既に昭和天皇が亡くなった後のことだった。今回の「執行手続中」も同類じゃないのだろうかと思ってしまうが、さすがにそこまでの真相は今のところ分からない。

 開票速報か組閣速報ともだぶって見えた。「執行手続中」はさながら「当選確実」とか「内定」みたいなもので、でもこれは人の命の話である。死刑確定の時点で予め決められた道だとはいえ「間もなく執行されます」と言わんばかりの様相は、やはり薄気味悪いものを感じてしまった。

 あらゆる報道はショー的な側面から逃れられない。潔癖さを失ってでも伝える公益性があるということは理解しているつもりだ。でも、事は人命である……。